幸福には上限がありません。自分が幸せだなと思えば思うほど、幸せになるような出来事が舞い込んできます。

 

ではなぜ、そう言えるのか。今回は私の考えた幸福の正体とその法則の推察であり、根拠も一切ありません。妄想と言えばそれまでですが、皆様の暇つぶしになれば幸いです。

 

幸福になるための条件なんてものは存在しない。

この世に幸福になるための条件なんてものは存在しません。なぜなら幸福とは、自分の気持ちだからです。だから自分がこの瞬間に「幸せだなぁ」と思った時点で、それが幸福なのです。

 

例えば私は遺産相続後、6年間も働いていません。ようやくまともに外に出られ、働くようになったのは6年後、自由に県外に好きに移動できるようになるまで回復したのはさらに2年を経過後でした。

 

「働いていないから不幸になる」という条件があるのかというと、そんな事はありません。

 

実体験で近所の人たちが陰口や悪口、町から追い出そうと言っていた事や、悪評を流されたり、警察に通報された事で苦しみはしましたが、自分に起きた出来事自体には、不幸と思える出来事は存在しませんでした。(近所の人が起こした嫌がらせを不幸と捉えるならそうですが、これってただの近所トラブルだから自身の不幸という意味では違う気もして微妙なのです)

 

つまり、「働いていようがいまいが、幸福の条件には関係ない」という事です。

 

では私自身は近所いじめから6年無駄にしたし、今でもたまに苦しくなるけど、それは不幸なのかというと、微妙です。

 

確かに時間は無駄にしたし、人間不信になったけど、立ち直る時間があったから新しい趣味を見つけたり、精神も結構タフになって、視野も広がって、幸せに感じる事の方が多いので、幸運に入ると思っています。

 

実際心が砕けている間も、残してくれた遺産のおかげで立ち直る事だけに集中できる余裕があったので。やはり私は恵まれているんだろうと思います。

 

じゃあ短期バイトなどで働き出してからはどうかというと、職場で人間関係のトラブルがありましたし、仕事のミスで落ち込んだこともありますが、それを不幸と呼ぶかと言うとそうではありません。ただのミスだからです。

 

そして現在、再び無職で過ごしていますが、お金が少なくて厳しい事はあっても、それは不幸とは思っていません。私が働いていないから勝手に苦労しているだけです。

 

つまり、幸福とは「その時の自分の気持ち」であって、出来事や物理的なもの、権力などの中には存在していません。その人の頭の中にしか、その人の幸福は存在しません。

 

幸福だと思う人ほど幸せがどんどん増える。不幸だと思う人ほど不幸がどんどん増える。

自分が幸福だと思っている人には、どんどん幸福がやって来るし、トラブルに遭ってもそこまで悪い事は起きません。逆に自分が不幸だと思う人にはどんどん不幸がやって来るようになるし、悪い事が立て続けに起きたりします。

 

ではなぜ、幸福だと思うと幸せな出来事が増え、不幸だと思うと不幸な出来事が増えていくのか。私の考えを解説します。

今回「こう考える方がしっくりくる」と感じるからです。

 


 

皆様は赤ちゃんを見て幸せな気持ちになるでしょうか?他にはペットを飼っていて「可愛い」と感じる事はありますか?実際に赤ちゃんがいる家庭、ペットを飼っている家族。

そうでないならyoutubeなどで赤ちゃんやペットの動画を見る人たちでも構いません。

 

赤ちゃんや自分のペット、動物などの行動を見ているだけで心が温かくなり、愛おしい気持ちが溢れてくると思います。その気持ちが幸福と呼ばれるものです。幸せな気持ちになる事自体が幸福の正体です。

 

幸せな気持ちになって、もっと笑顔を引き出したい、色々な反応が見たいと、仕事でもないのに赤ちゃんやペットたちの遊び相手になったり、おもちゃを買ってあげたりするでしょう。その時、赤ちゃんやペットには、幸福と引き換えに何かを消費したり、代償や受け取れる上限があるのでしょうか?

 

 

 

ないです。彼らは自分の思うがままに生きています。幸福とか不幸とか、そもそも考えてすらいないでしょう。

 

好き勝手に振舞って、私たちが勝手に一方的に尽くすのです。つまり、幸福には引き換えに何かを消費したり、代償や受け取れる上限などは存在しません。

 

ではここで、「私たちより上位の存在=神(ここでは神とします)」がいるとしたら、という仮定で考えてみましょう。私たち人間が知らない世界の法則を知っている存在として考えます。

 

神は人間を幸せに導いたり、育てようとしています。つまり人間を愛しています。神から見れば私たち人間は、赤ちゃんやペットと同じです。

 

私たち人間が赤ちゃんやペットに愛おしいと感じるように、神もまた、人間たちを愛おしいと考えているとどうでしょう。

 

幸せそうな人には、いろいろな幸せにつながるような出来事を送り、笑顔にさせたり、喜ばせたりしたくなります。つまり、私たち人間が、赤ちゃんやペットを喜ばせたくなるのと同じです。

 

神には人間社会のような物質や通貨がない分、出来事をプレゼントとして贈るのでしょう。ではその出来事を贈られた人間はどのような反応をするでしょうか。喜んだり、嫌そうにしたりと様々です。

 

神が応援したくなるのは、プレゼントの内容にしっかり向き合い、感謝する人でしょうか?それとも、不満ばかり述べて「これ気に入らないから、もっといいプレゼントをちょうだいよ!!」とねだる人でしょうか?

 

答えはもちろん、感謝をする人です。これは私たち人間も同様です。プレゼントをあげて喜ぶ顔を見たいのは、私たち人間も同様です。

 

神は時々、人間に厳しい試練をプレゼントします。それは神が、その人の成長を願っているからです。

私たち人間も子供にプレゼントをする際、小学生なら地球儀や本をプレゼントすると思いますが、それは子供の成長を願っての事でしょう。

 

では人からプレゼントをもらっても、毎回「こんなのじゃない!もっと大きなものが欲しいの!あっちが欲しいの!」などと、プレゼントを投げ捨てたり、開けもしない人にはどうするでしょうか?

 

そんな人にはもうプレゼントをあげたくなくなるし、離れてどうしても困った時にだけ手を差し伸べるか、全く相手にしなくなっていくだけです。仮に手を差し伸べても、プレゼントを投げ捨て続ける人は、その手の存在にすら一生気づかないのでしょう。

 

では、いつも「自分は幸せじゃないの!不幸なの!」と、文句を言っている人はどうなりますか?

 

今度は担当が変わります。同様に神ではなく、悪魔があなたに目をつけ、出来事をプレゼントとして持ってくるようになります。

人間もそうですよね。youtubeのペット動画と、ゲーム実況動画では、視聴者層は異なります。

 

悪魔の持ってきた出来事にあなたが悲しそうにしていると、悪魔はそんなあなたを見て幸せな気分になり、あなたにどんどん不幸をプレゼントするようになります。

 

神が人の幸せそうな姿を喜ぶのとは逆に、悪魔は人の不幸そうな姿を喜ぶのです。

 

だから、赤ちゃんやペットみたいに、自分に起こる出来事とちゃんと向き合う人には幸福がどんどん来るし、出来事に向き合わない人には、どんどん不幸がやって来ます。

 


 

上記は私自身の考え方なので科学的な根拠は一切ありません。しかし、自分が人と接してきた経験上、幸せそうな顔をした人には、何をしているのか興味を持つし、人が寄ってきたりします。

 

逆に不幸そうな顔をした人は、あまり近づきたいと思いませんし、関わらないようにしようと考えます。

 

ワイドショーなどで事件の犯人が捕まった時の人相で「やっぱりな」と思う事もあります。そして生い立ちを聞くと異常だったり、前科を持っていることがほとんどです。

 

幸福であると考える方法

最後に、幸福とは「その時の気持ち」と言いましたが、幸福になる方法を紹介します。

 

  • 考え方を変えてみる。
  • 幸せな気持ちになった出来事を思い出す。
  • 笑顔を作る。
  • 「ありがとう」と言ってみる。

 

以上です。他にも私の創造的ない幸せというものはたくさんあるかと思います。自分なりの幸せを考え、思い出すことで幸福に生きましょう!