謙虚になれる生き方、それは自然を敬うことです。

 

世の中には100年も生きることができないくせに、偉そうに振る舞う老人や、陰口悪口に監視など、自分が気に入らないというだけで他人に迷惑をかける老人がいます。

 

そんな連中に一切敬意をかける必要はありません。老人だからと思考停止して敬うのはもうやめましょう。

 

世の中にはもっと年をとった存在がいます。彼らはどんな事があってもそこに佇み、数百年、あるいは千年、私たち人間の生存に必要な酸素を生み出し、二酸化炭素を取り除いてくれ続けています。そう、植物です。

 

たかが百年生きて、偉そうに他人を侮辱する傲慢な人間の老人を敬うよりも、植物は遥かに尊敬できる命です。じっと佇み、二酸化炭素を酸素に変えて、生命を支えてくれる大切な存在です。

 

私達は自然という自分達の何千年、何億年も前から地球にあり続けた存在たちを敬うべきなのです。

 

自然の恩恵がなければ、生き物は人間含め、動物達も存在できません。

 

私達は気づいた方がいい。自然がいかに重要な存在なのか。ずっと何も言わず、見守ってくれていると考えると、自分という存在のちっぽけさを自覚できます。

 

「頭大丈夫?たかが木だよ?」と考える方もいるかもしれません。

 

ではその木が無くなったらどうなるか、分かっていますか?

 

人は住めなくなります。土地開発が進み、工業化が進めば雨に含まれる酸の割合が増えます。酸性雨が降れば土の微生物が死にます(砂漠化)。作物が育たなくなります。人も動物も飢えます。絶滅する動物も出てきます。私たち人間も食料安定供給が減ります(コオロギなんて食べたいですか?)。奪い合い、ひいては大きな戦争の引き金になりかねません。

 

人は、自分のペットを「たかが動物だ」と言われると「家族だ!」と抗議したり、怒るくせに、自分達よりはるかに長く生きる植物には尊敬すら向けないで、そこにある事自体が当たり前で、「なくなってもいいじゃん。景観の邪魔だし。」などと平気で宣う。

 

もしもその植物たちが無くなったら、人類の生存を優先するために、順番に何を切り捨てていくと思いますか?ペット(愛玩動物)の優先順位はだいぶ後ろです。ペットの食べるものが無くなればどうなりますか?お分かりですね?

 

私達は当たり前のように享受していた自然の恩恵に、感謝を忘れていることに気づいていません。人間社会で人間にだけ感謝をすればいいと考えている方も多いのではないでしょうか?

 

そんなことは仏陀もキリストも言っていません。世界の神が唯一共通していることがあります。それは自然を敬うことです。食事の前にお祈りを捧げることの意味は人間だけへの感謝でしょうか?断じて違います。

 

私達は食べ物が食べられることが当たり前の世界に生まれてきました。だから食料の供給が安定したのは、たった100年とちょっと前の事だと忘れているのです。

 

私達は忘れてはいけないのです。自然は命の親だということを。そう考えると、自分よりも遥かにすごい存在が身近にいることに気づくはずです。

 

そして気づいたのなら、己の傲慢さを恥じましょう。謙虚になることができます。

 

私達は、自然と共存させてもらっている。感謝を持って生きる事で、謙虚になることができます。

 


 

余談ですが私は神宮外苑の伐採に、今のような大規模なデモになる前から反対していました。理由は、

 

  • 専門家の意見を無視。
  • 当初の伐採予定は千本くらい。だから専門家も「それくらいなら・・・」と了承。計画が始まったら3千本に変更。
  • 当然反対。アンケートでも9割が反対だったのにもかかわらず強行。

 

あまりにうさん臭く、不誠実な対応に反対署名をしました。都庁の強行という事でソーラーパネルになる可能性も高い。

 

私の住む埼玉でも小川町のように、メガソーラーの事業問題が発生しています。山を削ってソーラーパネル設置なんて冗談じゃない。私の世界を広げてくれた単眼鏡で見た景色を潰されるのはお断りです。

 

東京の明治神宮には時々遊びに行くこともあり、私の日常にも生活にも関わるので、他人事ではありません。神宮外苑に関しては政府の不誠実すぎる対応も含め反対しています。「自然との共生の大切さを次の世代に残したい」というのも私の人生の目的です。