最近私のご近所さんたちの行動で気づいたことがあるので、「もしかしたらいじめの始まりはこれだったのかもしれない」と思う事に至りました。

 

勘違いかもしれませんが、参考になれば幸いです。私のいじめ被害の記事はこちら。

 

原因1.近所からの呼び出しに気づかなかった

実は相続してから数か月の間に何度か、玄関をノックするような音が聞こえたのを思い出したのです。

 

それを思い出しまして、「もしかして、近所が外で世間話をしていた時に呼んでいたのか?」と考えました。

 

つまり近所の老人たちは、自分達の朝の井戸端会議に出席しない、呼び出しに従わない若者を「生意気だ」と考え、ターゲットにすると決めたようです。

 

しかし、私が子供の頃などには、私が覚えている限りではこのような事は一切ありませんでした。小学校から高校まで毎回夏や冬の休みに帰っている時も、私が高校卒業後に暮らしていて、祖父母の介護をしながら大学に通っていた時も、一切ありませんでした。

 

一人になって相続してから、このノックが発生していた事に気づいたのです。といっても、私も相続後は手続きや遺品整理に忙しかったので井戸端会議なんて無駄な事に参加している時間もありませんでした(もともと参加する気もありませんでしたが)。

 

なぜ最近思い出したかというと、私の近所ではゴミ捨て場が変わり、近所の家の塀に変わったので、その家へ年に1回500円迷惑料と場所のお礼に支払っているのですが、その徴収がノックだったのです。ノックの後、チャイムが鳴ったので出た際に、自治会組長でした。

 

この近所の老人達はノックで人を呼び出すタイプのようです。(いや、チャイムあるんだから用事があるなら鳴らせよ・・・)

 

それで相続後のノックが何度か発生した事を思い出したのです。ただ、このノックに応じて玄関を見回しても、近所の人が数メートル離れたところで井戸端会議をしているだけで、用があって呼んだ様子はありませんでした。

 

この近所はすぐ近くに小学校があるため、いわゆるピンポンダッシュなどの事もあるので、自分の家のチャイム以外ではもう私は出ないのです。だから家の玄関をノックをされても「どうせ小学生のいたずらか。」などの「必要な要件ではない」と判断しているのです。

 

ちゃんと要件があるならチャイムを押したり、呼びかけたりなど、相手に気づかせることをする。それは今までの我が家の来客の様子からもわかっています。しかし、ノックだけだった。これは「ただのイタズラ」と考えていましたが、もしかしたら私が相続するまでの間に近所のローカルルールが変わったのかもしれません。

 

実際相続で戻ってきた時には2軒ほど知らない家が増えていましたし。

 

 

原因2.嫉妬

私は31歳の時に一軒家と遺産を相続しました。要は何の苦労もせずに大きな成功とも呼べるものを手にしたのがいじめ主犯の気分を害したのでしょう。

 

実際いじめ主犯が、私が文句を言わないタイプだと考えて調子に乗っていた時に私の家の駐車場の前(我が家にはっきり外からの声が聞こえる場所)で、「人生を楽に生きていて許せないのよ。」と言っている事からもわかります。

 

近所以外の第三者に相続後に近所からいじめが始まったと言った時の最初の一言が「嫉妬だね。」と。特に女性陣は一発で看破しているといった感じでした。やはり同性だと分かるのでしょうかね?

 

私もいじめ主犯や近所の老人達とは、子供の頃からの知り合いで挨拶も世間話もした人たちなので、祖父母が生きていた時はこのような事がなく、私が一人になって相続後にいじめが発生したので、嫉妬が大きな理由だと考えています。

 

 

原因3.私と近所の考え方が違う

引っ越しや一人暮らしなどでアパートやマンション暮らしを経験してきた私と、数十年この地域で一軒家で暮らしてきた老人達では、人付き合いの仕方も、生きてきた環境も異なります。考え方が異なるのは当然と言えます。違う時代、違う生活を送っているからです。

 

私の近所づきあいの定義

 

  • 挨拶しあって、ちょっと会話した時に盛り上がってタイミングが合った時だけ話せばいい。
  • 親しくなるのもお互いのタイミングなどでいい。互いの自分の生活重視。
  • お互いの今までの付き合いを大事にしつつ交友関係になるならそれでいい。ならなくても気にしない。
  • 大ざっぱな性格だから人のやる事もあまり気にしない。(自分に危害を加えられたら別ですが)
  • 人は人。自分は自分。

 

老人たちの近所づきあいの定義

 

  • お前たち年下から挨拶をしろ。
  • 私たちが井戸端会議をしていたら参加しろ。
  • 私たちの呼び出しに応じろ。
  • 私たちのローカルルールに従え。
  • 私たちに加わらないなら敵だ。

 

 

私は人生でいろいろバイトや仕事、引っ越しや一人暮らしなど、環境が様々に変わる経験をしているため、人間関係に関しては「人には人の生活があるし、自分には自分の生活がある。だからお互いのタイミングがあった時でいい。」と考えています。

 

実際、相続前もアパートで一人暮らしをしていた時は、同じ階の住民と互いに挨拶はしましたが、しなくても特にいじめなども発生していませんし、井戸端会議なんてものもありませんでした。

 

職場の人とも話が合う人とタイミングがあった時だけ一緒に出掛けたり、飲みに行ったりして、互いの生活を重視してタイミングの合う時に遊ぶ感じです。

 

その時の気分で決めるのも毎回行き当たりばったり。案を出しても決まらなかったり。結局そのままドライブに行ったり、県外へ出かけたり。誰も強制しないし、自由なので気楽で楽しいです。

なぜか会話の話題が毎回尽きる事はありませんでした。似たような嗜好や趣味同士だからでしょう。

 

ところがこの近所は老人達のご機嫌を損ねたら、排除の対象にされるののです。そして井戸端会議は毎日朝に始まり、一度ご近所さんを見かけたらずっと老人達の会話に参加しなければならない状態でした。

 

この井戸端会議は、私がいじめ主犯に陰口が聞こえていると苦情を言った後、徐々になくなっていきました。それまでは平日に毎日数十分から1時間くらいずっと続いていました。今では近所同士がたまに朝に遭った際に会話をしたりするだけです。強制ではなくなったようです。

 

老人達も表向きは相手の事を考えるような発言をしているのですが、その人が家に入ったり、いないタイミングになると悪口三昧でした。(私の家は築56年の古い家屋で窓ガラスも大きいため、耳の遠い老人達の会話が嫌でも家の中に入ってきます)

 

私と老人達では、近所づきあいなどの人間関係の構築の仕方、考え方が根本的に異なるのです。そして老人達の強制井戸端会議に付き合わなかった事、考え方が異なる点、性別も異なる点(いじめ加害者達は全員女性、私は男性)、相手の相続への妬みなどの複数の原因により、私が「近所いじめのターゲット」となったと考えられます。

 

私の近所で起こっていたのは老人たちの同調圧力による近所づきあいだったのです。しかし、私が知る限り子供の頃はこのような事はありませんでした。

 

 

上が腐ると下まで腐る

いずれにせよ、今回ハッキリ実感したのは、会社も近所も、「上に立つ人が腐っていると下まで腐る」という事です。

 

会社の社長も近所の年長者も、性格が悪かったら関わる人やグループ全体が悪くなっていく。なぜなら自分が巻き込まれたくないから。

 

特に日本の場合は遺伝子と歴史上の環境(村社会など)も要因として、「みんな同じ、みんな一緒でないといけない。異なる人間は排除する」という傾向が高いようです。

 

良い点としては列に整列して並ぶ事、治安が良いなど。悪い点は同調圧力が発生しやすい、新しい考え方や挑戦、変化に対応できないなど。私の近所の場合は悪い点が発揮されていると考えられます。

 

私の近所の老人達の行動で気づいたのが、自分達の事しか考えていないという事です。「自分達さえよければそれでいい」。自己保身が全てだからこそ被害者面ができるのです。

 

いじめをしていることが発覚したら自分が周りから責められるから。被害者の心境や苦しみなど一切考慮に入っていません。それは8年間の近所の行動が証明しています。

 

 

結論:私と近所の老人は考え方が合わない

私の考えでは「近所の老人達の方がおかしい」と思っていますが、老人達から見れば「私の方がおかしい」と考えているようです。私はもう老人達を「敵」とみなしていますし今後も近所づきあいをすることはないでしょう。

 

もう関わりたくありません。自分達が気に入らないだけで人を犯罪者扱いして、挙句その加害者達が反省もせず周囲には被害者面して、詫びの一言すらなしに「また近所づきあいしましょう」など言われても絶対にしません。

 

仮に近所づきあいを再開しても、またいくらでも私の気に入らないところを見つけて、また集団で陰口や悪口など一方的に攻撃する事が目に見えているからです。現時点で防犯カメラを設置しないといけないほどひどい状況なのに近所づきあいなんてする気もありません。

 

やっぱりサイコパスかソシオパスじゃないかな、あの人たち。よく平然と表向きは笑顔で接してきて裏では平然と貶せるよなぁと思います。天然の女優ですよ。おかげでこちらは人間嫌い(特に女性)になりました。

 

結局は考え方が合わないので近所づきあいをするとストレスになると思います。他人は自分達の都合の良い道具ではないし、「わたしのわがままをなんでもきいて、さっしてくれるひとたち」なんて存在しません。

 

自分達がまるで王様になったかのように、他人に命令を強制し、従わせる事を「近所づきあい」と考える人たちには一生分からないのでしょうし、考え方が合わないです。

 

 

 

参考資料

トップの老害を悪化させるミドルの初老害

第9回「日本人の不安に関する意識調査」ー9年連続で7割以上が「最近不安を感じている」と回答

幸福感と自己決定ー日本における実証研究