これは私の話なのですが、私は高校生の頃、大学受験をしたのですが、全部落ちました。

 

そして母に進められて外国語の専門学校に入学し、専門学校から編入試験を受けて駒澤大学に3年次編入学。卒業しました。そのため、専門学校も大学も経験し、卒業しました。

 

 

(ちなみに学費は父が長年かけて払ってくれました。そのため遺産相続で学費分遺産を分けました。「もっとちょうだい」とせがまれましたが。渡せば渡すだけ全部使い切りそうなのでこちらで定期的に生活費援助していますが。)

 

ちなみに私の高校受験時の偏差値は47です。当時の駒澤大学の合格率の偏差値は53~55くらい。私は大きく下回っていました。

 

当時は全く手が届きませんでした(というより勉強する意義が分からなかったからやる気が出なかった)。

 

私は目標がないのに頑張るという事ができないタイプなので、正直受験にも興味がなかったため、勉強もやる気が起きませんでした。当時の私は「ただなんとなく生きていた」ような、フワフワな人間でした。(今もフワフワだけど、ちょっとおもりが入っています)

 

何が言いたいかというと、偏差値なんて気にしなくていい。自分が挑戦したいなら挑戦すればいいという事です。

 

授業についていけるのか?学校でうまくやっていけるのか?そんな心配は、入学しないと分かりません。そもそも落ちた時点で答えは出ています。

 

落ちたという事は、「授業についていける学力を持っていない、学校でうまくやっていける能力を持っていない」という事です。そんな悩みは合格し、入学してから考えればいい。

 

ちなみに当時専門学校からの3年次編入試験は英語1科目のみ。つまり他の科目で高得点を取るなどできませんでした。一発勝負ですが、私は落ちるなんて考えていませんでした。

 

「絶対受かる。俺ならやれる。」

 

そして本当に合格し、専門学校の卒業と駒澤大学へ3年次編入学をしました。

 

まー大学卒業のキャリアは全然活かせなかったのですがねw私は昔から学歴や職歴に興味がなかったので。

 

それでも人生の分岐点の一つだったと実感しています。

 

大学出たのに学歴に全く関係ない仕事やってたりしましたが、それでも大学で得た経験が、私の人間としての基礎の一部になっていたりします。

 

過去の栄光は振り返らない方がいいけど、過去にした自分の努力と乗り越えた経験は忘れない方がいいです。

 

過去の栄光は他人の反応がないと心が満たされませんが、自分の努力と成果は自分が思い出せばいいだけです。心を満たしてくれますし、初心を思い出すことができます。

 

何度でも初心から一歩踏み出せばいいのです。どれだけ願おうと足搔こうと、今いる場所からしか始められない。それが人生というものです。

 

心が迷っているなら一歩目だけでも踏み出して挑戦すればいい。一歩踏み出してみないと「あ、無理だなこれ。」という気づきすら得られません。