今回は無職でも問題を起こさない人と、問題を起こす人の違いをまとめてみました。
ちなみに対象の無職は、私自身と、近所の主婦や老人です。どうしても主観が入ってしまうのですが、少しでも参考になれば幸いです。
まず、無職独身を何年も経験している私と、近所の主婦たちのある日の1日の行動などを箇条書きにしてみました。
近所の主婦たちに関しては家の窓を開けている時に聞こえてくるテレビの音や雑談などからの判断なので、他にも個人で趣味を持っている方もいるかもしれません。
私のある日の1日
- 家事
- ゲーム
- アニメ
- youtubeなどの動画鑑賞
- 映画鑑賞
- 読書
- 筋トレ
- バードウォッチング
- 近くの公園や河原の散策
- けん玉、ヨーヨー
- ラジコン
- 車で外出
- 寄付
- ブログ記事の下書きや投稿
- 買い物
近所の主婦や老人のある日の1日
- 家事
- 近所の人や友人と雑談
- テレビ
- 畑いじり
- 買い物
こうして箇条書きにして分かった事としては、インターネットやスマホなど、新しい物事に自分から興味を持たない人ほど、陰口や悪口などの人に危害を加える行動に走る人が多いです。
近所のいじめ主犯も、塾を開くのは週に3日ほどで、ではそれ以外は何をしているのかというと、人と雑談か、テレビを見ているか、私の悪口や監視です。
近所のいじめ主犯の取り巻きも同様です。人の監視がほとんどで、外出している様子を見た事は、ほとんどありません。
自分から楽しいと思えることを探そうとしない、試す事すらしない。受け身で失敗を恐れている人ほど、他人を攻撃する傾向にあります。
家事に手間がかかる違いはあれど、やる事は基本は家事をこなした後、空いた時間に何をするのか。私と近所の違いを見ていきます。
私の無職の過ごし方
私の場合、無職ですが、やりたい事の選択肢が多すぎて、生活のために、もしくは欲しいものを買うために仕方なく働く選択をしなければならない。といった感じです。
「つまらないなら、楽しくなるように楽しみ方を見つけよう」「せっかく遺産を相続したのだから、世の中の困っている人のために少し使おう。」など、色々行動して、趣味として一番しっくり来たのがバードウォッチングですが、その過程で試したことも、定期的に繰り返ししています。
知識不足やうまくいかない事の方が多いです。しかし、気にしていません。一歩ずつ進めばいいと自分自身の経験から分かっているからです。
他人に不満はあっても、不満を感じたのは自分自身であり、他人を変える事は出来ないから自分の中に生じたストレスを解消するために趣味で発散しています。
他人を簡単に変えられるのであれば苦労はしません。「いじめ主犯の言いなりになるように変われ」と言われても私は変わりたくありませんし、いじめ主犯や取り巻きも私が私の陰口や悪口を言うのをやめてくれと言っても変わりませんし。
お金がない時はお金をあまり必要としない事をしています。近くの公園を歩くだけでも、自宅の庭を見るだけでも雑草が生えているので、どんな植物か調べたり(ちなみに1500円のハンドブックの図鑑を買いました。図鑑が増えていく)。
バードウォッチングも最初は1年くらい、1100円で買った1冊の野鳥図鑑で行っていました。いくらお金がないと言っても1100円くらいは絞り出せます。1年間に見かける野鳥237種類も掲載されているので十分すぎるくらいです。1年中楽しめます。
近所の主婦の過ごし方
基本的に集まって雑談か、家でテレビを見ているか、時々訪問者が来ているようです。(私もいちいち監視する暇はないので、物音などからの判断ですが。)
いじめ主犯や取り巻きは、集まって私の陰口や悪口、町から追い出す手段や方法の相談などです。最近は過激化して犯罪者扱いされたり、近所間で起こるトラブルや自分達のストレスをすべて私のせいにして怒りを発散しているようです。
いずれにせよ、時間の過ごし方が私とは決定的に合いませんし、健全ではないと感じます。
まぁ多くの女性にとって人の悪口を言う事はストレス解消の愚痴みたいなものなので、考え方の違いと思っておきますが(私に聞こえるように雑談するのはやめてほしいのですがね。)
無職で問題を起こす人は、プライドが高い人
結論は、無職で問題を起こす人は、「世間体を気にする人に多い」という事です。
私の場合、一度は自分の今までの人生を自分で否定しているので、「自分の譲れないもの」というプライドへの執着が薄くなりました。
「自分はこうありたい」という「人からどういうイメージで自分を見てほしいのか」という無意識のこだわり(=自分のプライド)を自分から捨てました。結果、捨てても問題ないと気づいたのです。
人からどう見られるのかを自分で決めることはできません。それを決めるのは見た人です。
自分の中のこだわりや、一種の誤解を他人が理解しようがしまいが、自分で全て説明する事も、理解を求めてどう見てほしいのかも、決めることはできません。
つまり私の今まで持っていた「プライド」というものは、世間の人から求められた私のイメージであり、「私の考えていた私」ではないのです。
他人が決めた自分。「それが本当の自分」だという思い込み。それが、プライドの正体です。
その分、自分の人生を楽しめるようになりました。確かに私を犯罪者として広められるのは傷つきますが、私にはどうしようもありません。勝手に近所の人が作った噂を信じるか、信じないかなど、いちいち訂正できるわけがありません。
一つの街に何百人、何千人が住んでいるのか。噂の訂正なんて時間の無駄でしかありません。
そんなものをいちいち気にしていたら何もできなくなります。そんなものは勝手に第三者が判断すればいい。
では私が犯罪者だと広めたり、周りに町から追い出そうと提案している人たちは誰かというと、近所のいじめ主犯です。自分のそろばん教室を開催している人や、主婦たちです。
第三者から見れば、このような誰かを一方的に排除するための攻撃的な行動を続ける人こそが問題児に見えますが、本人たちは自分の世間からのイメージを守るために、私へのいじめの内容を必死に隠蔽したがっています。だからどんな手を使っても私を貶めたり、町から排除しようとしています。
いじめ主犯やその取り巻き達は、世間から「良いおばぁちゃん」として通っているという自分のイメージを崩したくないからです。他人が決めた「良いおばぁちゃん」というプライドを守るため、そのプライドを崩すような、後ろめたいことは隠蔽しようと躍起になっているのです。
つまり世間体を気にしている人ほど、大きな問題を引き起こす。
これが無職でも問題を起こす人と起こさない人の違いだと、私は考えます。
ありがとうございます!ただ、意識が戻っただけで会話できるほどではなく、まだ深刻な…
お父様の意識が戻られたようで良かったです! やりたいことは、どんどんやった方が良…
こんにちは。ありがとうございます。
こんにちは。自分の健康と安全を第一に、ゆっくり休んでくださいね!
コメントありがとうございます。 「悟空ならこういう時どういう考え方をす…
私もドラゴンボールが好きでしたが、 こういう良い作品のおかげで真っ直ぐな自分でい…