お盆は仏壇を掃除して、簡易的にですが盆の準備をしました。お盆中は私の住む地域はとても静かになるので、朝からサイクリングに出かけたりしています。

 

心なしか仏壇の仏さまがうれしそうに見えたり怒ってそうに見えたりするのは、やはり自分のその時の心境を、対象に反映しているのでしょうね。

 

そう考えると相手の顔色を窺う人は、自分の心境を相手に押し付けて勝手に相手のイメージを決めつけているとも言えます。自分勝手ですね。私もかつてはそうでした。

 

今は他人の表情なんて気にしないようにしています。相手が不機嫌なら声を荒げるし、露骨にわかりやすい顔をしてくるからです。

 

そういう態度を取る相手の問題なので、今は「あまり」気にしなくなりました。完全に気にしないというのは無理だと分かっているので、「あまり」気にしないのです。

 

生まれつきの本来の性格を完全に変えるというのは、いずれ無理が来るので、鬱になったり、社会で生き辛くなるのです。元の性格のまま自分の心に無理が来ない範囲で、相手と自分の境界を分けて生きやすく、したたかに人生を送ると楽になります。

 

自分に合ったスタイルで生きよう

自分が人より前に出て活躍するタイプではないと分かっているので、ヒットやホームランを狙わず、送りバントですね。華々しい賞ではなくともチームに必要な役割です。

 

バントは自分がアウトになる事を足手まといだと思っている、自尊心が欠如した人には無理な役割です。

 

時にはその役割の重要性がわからない人から嘲笑されたり、中傷されたりしますが、必要な人には届くから気にしません。私のような無職が仮に日本人全てに嫌われたとしても、全人類の2%程度の人です。

 

自分を嫌う人達に好かれようとするくらいなら、自分を受け入れてくれる人を自分から探しに行けばいい。そのような人が誰もいなくとも、自分の人生を楽しんでいれば、一期一会で楽しくその場で会話できるものです。

 

時々一人でノープランの旅をしていたからわかります。人は一期一会だけでも生きていけます。

 

勇気を持たないと「自分」は見つけられない

人に嫌われても大丈夫ですよ。嫌われてみればわかります。私も近所から嫌われて、慣れるのに随分苦しみましたが、慣れると自分の意志や意見が生まれ、「本来の自分」が見えてきました。だから今の私があるのです。

 

人に合わせてばかりいると、いつまでも自分が誰なのか分からなくなる。私はもう「私が何者なのか」で悩む事は無くなりました。そんなものは他人が決めればいい。私は「その時の私のあるがまま」です。

 

言葉にするのは難しいですが、これが「私」です。

 

皆さんは、皆さん自身の「私」を生きていますか?

 


 

「私」を見つけなくとも、生きていけますから、無理しないで気楽に生きていきましょう。

 

いつか、ふとした時にわかる日が来る事もありますよ。