※嗤う(わらう)=人を見下し、バカにしてわらうこと。


 

嗤われる人間になった方がいい理由は、「どんな無能だろうとクズだろうと人をわらうことはできるから」です。

 

たとえどんなに社会的に無能な人でも、ドクズな人でも、ネット弁慶な人でも、誰かをわらう事は、誰でもできる事なのです。

 

ところが誰かに嗤われる人間になる事は、自分が決めて実行する事を一歩踏み出さないとできません。

 

一歩一歩踏み出していけば、自分のやる事に集中するようになります。いつの間にか嗤い声も聞こえなくなります。

 

人を嗤う側はいつまでもその場で留まって誰かを見下して嗤っていますが、嗤われている人はどんどん先へ進んでいきます。

 

嗤われている人は、人の心を豊かにする「笑われる人」になっていきます。そして周りには自分と同じように嗤われる人と出会う事もあります。

 

そこに人への侮蔑や見下しでつながる関係はなく、ただ対等に接してくれる人がいるのです。その時は笑いあえる人との関係が始まったりします。

 

嗤う人間達と関わるよりも、笑ってくれる人達を笑わせるのもいいと思います。笑う人との関係を作りましょう。

 

地道に不正や犯罪をせず、視野や考えを縛らず、もがいて生きていれば、気づけば自分の道になっていたりします。

 

あなたは他人を見下して誰かと一緒に嗤う人間になりたいか、それとも自分のやりたい事をやって誰かに嗤われる人間になるか。どちらの道を進みますか?