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今回は私の近所のいじめ主犯のような、自己愛性パーソナリティ障害と思われる人達について、特徴と対策を紹介します。参考になれば幸いです。

自己愛性パーソナリティ障害とは何か

自己愛性パーソナリティ障害(自己愛性人格障害)とは、自分が特別な存在だと思い込み、周りは自分を称賛するのが当たり前で、他人は自分のために存在していると考える、自分を客観視できない病気の事です。

自己愛と呼ばれるので、自分の事が大好きな人達を想像するかもしれませんが、違います。自己愛性パーソナリティ障害は自分の短所やミスは絶対に認めません


自己肯定感や自尊心の高い人は、自分の良い部分も「悪い部分も含めて」、等身大の自分を受け入れて自分を好きな人達です。



追記:一部の文章を修正しました。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。

自己愛性パーソナリティ障害の特徴

  • 常に自分の話をする。人の話を聞いていても、自分の話を始めてしまう。
  • 嘘をつく。話の整合性が取れない。
  • 陰口や悪口をよく言う。攻撃的。
  • 絶対に謝らない、非を認めない。
  • 都合が悪くなると被害者面、話の論点をずらす。
  • 自分の勝ちか負けか、自分より上か下かの二択で判断する。
  • 他人を見下している。
  • 二面性がある。

自己愛性パーソナリティ障害の思考

実例ですが、私は家を相続してから、近所からいじめや嫌がらせを受けるようになりました。
その時私が言われた事は、「人生を楽に生きていて許せない」という言葉です。

私は家と遺産を相続しましたが、もう家族はいないわけです。一人になって遺品の整理などもあり、相続した遺産を県外の父の生活費などにも使用しています。

当然ですが楽ではありません。遺産を相続するとそれなりの苦労が付いてくるものです。


遺産の相続というのは、誰にでも起こるわけではありません。宝くじが当たったようなものです。

「いいなぁ、羨ましい。」という言葉が出てくるのは自然な反応ですが、自己愛性パーソナリティ障害の場合は「ずるい。」という言葉が出て来るのです。

私の近所のいじめ主犯は、私に対して「人生を楽に生きていて許せない。」と発言しましたが、これも「ずるい。」という気持ちから生まれた言葉です。

自分以外の人間が、自分以上の「得」をする事が許せないのです。

自己愛性パーソナリティ障害は「ヒーローごっこ」「悲劇のヒロイン」を一生続ける人達

自己愛性パーソナリティ障害には、心が未発達なのです。

たとえば生活の中で「自分がこんな事をされたら嫌だし、他の人も同じように嫌な気持ちになるかも。」などの、相手の立場に立った考えや思いやりを持つようになります。

それは心が成長して、「自分と他人は違う人間である」と理解していくからです。自我が芽生えてきたからです。

ところが自己愛性パーソナリティ障害には、心が未発達なので、自分の事しか頭にありません。自我が未発達だから「人間は成長する」という感覚がわかりません。

だから一度「自分より下」とみなした人間は見下すし、自分よりも優れた点が芽生えたなら、相手を潰すために平気でいじめを始めたりします。

何も考えず、常に勝ちそうな方、数の多い方の味方に回り続けます。都合が悪くなれば逃げて、また次の勝ちそうな方、数の多い方に回ります。自分が気持ちよく優越感に浸れる場所を常に探しているからです。

自己愛性パーソナリティ障害は、表向きでは「誰かを守るため」などと綺麗事を言いますが、実態は自分の事しか頭にありません。他人がどうなろうと自分さえ満足出来ればそれでいいのです。

他人にどれだけ加害行為をしても何とも思いません。加害行為の結果、相手がどうなろうと罪悪感すら持たないでしょう。

自己愛性パーソナリティ障害にとって、「自分が負けている」「自分よりも上だ」と、自分が思った時点で、相手からの加害行為として受け取るのです。

だから「加害された自分は被害者であり、勇気を出して加害者に立ち向かった自分カッコイイ」と、自己正当化します。

他人にいじめや冤罪を仕掛けても、悪人退治だから何とも思わないし、その結果相手が自殺しようが相手の人生がメチャクチャになろうが、自己愛性パーソナリティ障害者にとっては、どうでもいい事なのです。

自分が称賛される事だけが全てなので、「それ以外」がどうなろうと一切知ったこっちゃないし、責任すら感じないのです。

見た目はどこにでもいる普通の人なのに、人の心を持っていないような残酷な行いをする。しかも対象がいないところではいじめなど全く行っていないかのように振舞う。罪悪感がない。

実際に被害に遭うと分かりますが、あまりの異常性に絶句しますよ。「こんな人間がこの世に本当にいるのか・・・」と。
自分が被害に遭わないと信じられない人も多いかもしれません。

姿かたちは人間なのですが、なんというか、・・・「人の心がない」感じですね。心が成長していないのだから当然ですが。ひたすら自分の感情の吐露だけしている人達と言った感じです。

だからと言って被害に遭った人からすれば許せるかと言ったら、許せるわけがありませんがね。
なんせ相手の自分勝手な考えを一方的に押し付けられただけであって、被害者には一切何の関係もないのですから。

最近なら、三重交通バスにクレームを入れた連中も似たようなものです。要は「ツイフェミ」と呼ばれる連中やお隣の国の行動そのものですね。

自己愛性パーソナリティ障害の厄介な点

自己愛性パーソナリティ障害の非常に厄介な点として、子供や赤子ですら比較対象にしている点です。

自己愛性パーソナリティ障害は、自分以外は全て自分を満たすための道具なので、子供や赤ちゃんですら自分の勝負対象になります。

幼いうちは自分の方が上だと分かっているので、優しく接したりしますが、子供が成長して、当時の子供の頃の自分の成績を、自分の子供が越えるなど、「自分よりも上」だと思い始めると、子供にさえ攻撃対象になるのです。

結果的に毒親になる確率はかなり高いでしょう。

私に起きた近所トラブルの例


私の近所は子供の頃からの知り合いが多いのですが、私が相続する前はいじめなどをしませんでしたが、私が相続をしてからいじめを始めました。

これは相続した事で、「近所の子供」として自分より下に置いていた存在が、「自分達と並ぶ一軒家の主」となった事で、若さなども含め、老人の自分よりも「上」の存在だと判断してしまったのでしょう。

自己愛性パーソナリティ障害のいじめ主犯が、私を自分よりも「下」の存在に戻すために起きたいじめと考えられます。

私は現在いじめ主犯によって近所中から「危険人物、犯罪者」などの存在に仕立て上げられました。しかし、いじめ主犯は満足せず、今も嫌がらせを行っています。

理由はおそらく、私がいじめを受けてから苦情を何度も言いに行ったことで、いじめ主犯の中で自尊心が満たされず、私が加害者になっているからです。

いじめ主犯は苦情を言っても、自分のやった事を絶対に認めませんでした。それどころか自分が被害者であるとして警察に通報までしたのです。

自己愛性パーソナリティ障害にとって、自分が一度「下」に認定した相手が、「同等」または「上」に来るのは屈辱であり、「傷つけられた」と感じるためです。

だから自己愛性パーソナリティ障害にとって、他人は常に自分の比較対象であり、一度「下」と認定した相手は自分を越えてはいけない存在なのです。

自己愛性パーソナリティ障害者に目をつけられたら最後。一生執着されるので、相手がいなくなるか、自分がいなくなるかの二択になります。

話し合いによる解決なんて事は出来ない相手です。
自己愛さんは「自分が譲歩する」という事が一切できません。自己愛さんにとって相手の要求を少しでも許可する事は、「負け」を意味するのです。自分が勝つという選択しかありません。

仮に解決するとしたら、被害者が土下座して「一生あなたに逆らいません。」と言って自分の人生を犠牲にする他に解決方法はないので(自己愛さんが相手に頭を下げる事は決してありません)、物理的に距離を取る引っ越しをお勧めします。
※絶対に自己愛さんやその近所に住所は教えないでください。近所ごと縁を切る事をお勧めします。

実際私もいつでも引っ越せるように、ものを減らしている最中です。生前に母や祖父母が漬けていた梅酒や梅干しなどが無くなる頃には、すぐ引っ越せるくらいものを減らしておきたいところ。

自己愛性パーソナリティ障害への対策

自己愛性パーソナリティ障害への対策は、以下の二つです。

  • 離れる(縁を切る)
  • 褒める


自己愛性パーソナリティ障害にとって、助言や注意、苦情は全て加害行為に該当するので、敵として認定されます。

自己愛性パーソナリティ障害は、相手のための助言や忠告でさえ「加害行為」と認定するのです。自分の考え以外はすべて「攻撃」となってしまうのです。


もしもあなたの親や、身近な知り合いなら、時間をかけて徐々に距離を離していく事をお勧めします。(「仕事が忙しい」など。)

会社の部下など、どうしても関係が続く場合は、自尊心を満たしてあげながら修正をさせます。「いいね!あとはここを直すとさらによくなるよ。」など、まずは良いものを作ったと褒めて、その後で修正点を指摘するのです。

自己愛性パーソナリティ障害は、褒めすぎると調子に乗って、どんどん要求が酷くなっていくので(断ると敵認定)、基本的に仲良くなろうと考えない方がいいです。

自己愛性パーソナリティ障害者に必要最低限以外の情報を与えないようにしてください。自己解釈でルールや約束を破ったりします。

自己愛性パーソナリティ障害は、全てにおいて自分の考えやお気持ちが優先されます。その上絶対に非を認めません。非を認めるのは死ぬのと同じだからです。

重度の自己愛性パーソナリティ障害は、ハッキリ言って治療不可能だと考えた方がいいです。特に歳を取っていると長い人生において自分の考え方が固定されているため、新しい方法や考え方を一切受け入れません。

カウンセラーや精神科に通わせても、治療はかなり困難を極めると言っても過言ではないでしょう。