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私は魂というものの存在を認めるようになり、神道や仏教関連の書籍、スピリチュアル関連の書籍を読んで知識が増えていくうちに、「あれ?この世界ってゲームと同じなんじゃ?」という考えが出てきました。
そして当てはめてみるとずいぶん生きやすくなりました。
生き辛いと感じる皆様の参考になれば幸いです。
この世界はゲームだと考えると生きやすい
私自身が幼い頃からゲームが好きで、今も遊ぶ事があるからできた考えですが、この考え方で生きやすくなりましたし、心の傷も少しずつですが癒されます。
この画像を見てください。これはゲーム画面とコントローラーを持つ私の手を撮影したものです。
遊んでいるゲームソフト=私の今世における時代であり惑星
画面=世界の中
操作キャラクター=私の肉体
画面外のコントローラを握る私=魂
上記はゲーム画面ですが、現実は肉体が死ねばゲーム終了です。
次の世界または時代、キャラクターを選んでまた転生(ゲームを開始)します。輪廻転生ですね。
魂は前世(前に遊んだゲームソフト)を蓄積していくから引き続き学びと経験を積んでいき、肉体はその都度生まれ、死ぬまでの1本のゲームソフト。
生まれるというオープニングから始まり、死んでエンディングに到達する1本のゲームソフト。
「魂である本体の私(以下、「本体の私」)」自体は不滅だし、酷い事が起きても画面の操作キャラクターが経験しているだけだから「本体の私」は傷ついていない。ゲームの世界観に入り込みすぎて傷ついたと思っているだけ。
転生というゲームのスイッチを入れて他のゲームソフトで違う人生を遊ぶ。
だから「本体の私」には今まで遊んできたゲームから学んだ知識やノウハウが貯まっていき、クソゲーやクソプレイを選びにくく、より楽で遊びやすいスタート環境を送れるようになってくる。
もちろんクソゲーの中でも自分で遊び方を見つけて遊ぶ人だっています。そういう人は次のゲームがたとえつまらなくても、自分で遊び方を見つけてゲームを楽しむでしょう。
そのゲームを1から起動するのだから、そのゲームソフト内で前世の記憶なんて無くて当たり前です。
ただ、そのゲームで達成したい目標は決めてあるはずです。それがいわゆる天命や使命、運命などと呼ばれる「本体の私」がこのゲームソフトでやると決めた目標、ゲームクリアの条件でしょう。クリア後も遊べるゲームだって世の中にはあります。
そしてそれとは別に生きていてやりたい事も出てきます。これもまた世界を知ればその分遊んでみたいゲーム内の施設が増える。趣味などもこのゲームソフト内のミニゲームとも言えます。
自殺がダメと言われる理由
当然ですが、もし詰まって投げ出し、自殺をしたら何の学びもせずに次のゲームへ行くのだから、また同じような所が出たらつまづきます。
前回のゲームで詰まったのだから乗り越えないといつまでたっても同じ所で堂々巡りです。
いわゆる自殺はあの世で罰せられるほどの厳禁行為だと言われるのは、これが原因なのではないでしょうか。
「その世界に何しに行ってきたの?また次のゲームで同じ事を繰り返して止めるの?何回同じ事を繰り返すの?」って話になりますから。
私個人の見解ですが、自殺してもいいと思いますよ。実際私も自殺を選ぼうとした人間だから言えますが。
また、仮に自殺が良くない事だとしても、なぜ自殺したのかあの世で説明すればいい。
あの世でまで人や世間の目なんて気にしなくていいのだから、「私の人生はクソげー過ぎた‼」と、神様に心の中の本音を全部ぶちまければいいじゃないですかw「もっとアドバイスをよこせ!」と言ってみればいいのです。
ただ、「どこで選択を誤ったのか、あの時どうしたらよかったのか」など、自分自身と向き合って原因を追究しないと同じ場面で同じ過ちを繰り返すので、できればわざわざ来世に持ち越すんじゃなくて、現在で試して結果を見た方が楽じゃないですか?
来世はその原因自体を起こさなくて済むのですよ。来世で起きる嫌な事を一つ先に減らしておけますし。
結果的に今世を往生した方が経験が多く詰めるので、次の人生で、最初からより楽な方向へ行けますよ。
自分と同じようなプレイヤーと仲良くしていこう
この世界はゲーム。自分と同じようなプレイスタイルをしている人を探して友達になればいいし、そういう人を大事にすればいい。
反対に、自分に悪意を持って接する人はPK(プレイヤーキラー=他のプレイヤーを加害する遊びをする人)だったり、NPC(ノンプレイヤーキャラクター=ゲーム内に用意されたキャラクターの姿をしたCPU)だったりする。
だから次のゲームソフトでは過去の経験を活かし、悪意を持ったプレイヤーが溜まりやすい場所は避けたり、対処が上手くなってより生きやすくなる。
「徳を積めば来世がより生きやすくなる」という宗教の理屈にも当てはまります。「肉体の自分」は知らなくとも、「本体である魂の私」が良い方向へ誘導するからです。
開発者にもわからないバグがある
たとえばスーパーマリオ64のRTAなどのように、開発者ですら想定外のバグを利用したショートカットなどを見つけるプレイヤーも存在します。
そのようなプレイヤーはいわゆる開発側、メタ側を覗いたプレイヤーであり、それが霊能力や悟りに到達した人間なのかもしれません(偽物も多い上に見分けるのが難しいのが難点ですが)。
だから肉体を失い、成仏して魂という「本体の私」に戻った時にこの世界を俯瞰する事ができるようになって、分からなかったことが分かるようになったり、遊んだゲームを1から思い出す走馬灯があるのかもしれません。
話を戻しまして。
実際に「完成したゲームやプログラムがなんで動いているのかわからない。下手にバグ修正したら動かなくなるかも・・・」などの事態はIT業界ではよく聞く話です。
このブログも実はあります。ある時提供されたバージョンアップから突然、目次がつけられなくなりました。目次の開発者も原因が特定できず、アップデートしない事以外に対策がないようでした。
私はこのブログのWORDPRESS本体のアップデートに対応して使い方を覚え、提供されている目次自体を変える事にしたのでした。そのため、古い記事と現在の記事でレイアウトが異なっています。
肉体と魂は別であると生きやすい理由
肉体と魂が別であると考えると、想像力が膨らみます。次の人生をより豊かに想像したり、肉体が死んだ後に極楽へ行ける、などの明るい希望を持つことができます。
また、どれだけ酷い言葉を言われようと侮辱されようと、攻撃されたのは今の肉体であって、魂はノーダメージとも考えたりできます。
とはいえ、酷い言葉を言われたり暴力を受けたら心は傷つくので、ノーダメージとは言い切れませんが、軽減はされます。
「死んだら無になる」という人は、そもそもこんな記事に来ませんからね。なんせ無なのだから、自分の死んだ後なんて一切存在しないんだから何も気にする必要もありませんし。
異世界転生の作品が流行る理由
最近は特に漫画やライトノベルなどで、自分が死んで、転生して大活躍する作品が増えています。
これも現代が生きづらいと感じる人が増えており、魂と肉体は別であると無意識に考えているからこそ、次の人生で、現在の自分の満たされない欲求が満たされる事を願っている人が増えたと考えられます。
こうしたいわゆる異世界転生ものの作品のほとんどが、中年サラリーマンが死後に現代よりも文明レベルの低い世界に送られ、現代の知識と神から与えられた強い能力で活躍して、色々な美女と仲良くなりながら自分の強さを見せつける話です。主人公に実に都合のいい展開が多いです。
最近は女性の異世界転生ものも増えていますね。婚約破棄した相手が破棄した後に主人公の本当の有能さに気づいて後悔する話などは広告でよく出てきます。
こういう作品は現実ではあまり報われない人達に人気があるのでしょう。
実際私の知り合いの派遣社員やフリーターに読んでいる人が多いです。ちなみに私も何作かはアニメで見たりしています。
私も家と遺産を相続した事以外は、底辺に該当する40歳無職であり、異世界転生もののターゲット層に入るのですが、私の場合は野鳥観察含めた自然観察の趣味があるので、異世界転生よりも、「カメラや双眼鏡などの機材や野鳥観察などに行く交通費がもっと安くならないかなぁ、なんか給料いい会社に入れないかなぁ」と考えたりしていますがw
ありがとうございます!ただ、意識が戻っただけで会話できるほどではなく、まだ深刻な…
お父様の意識が戻られたようで良かったです! やりたいことは、どんどんやった方が良…
こんにちは。ありがとうございます。
こんにちは。自分の健康と安全を第一に、ゆっくり休んでくださいね!
コメントありがとうございます。 「悟空ならこういう時どういう考え方をす…
私もドラゴンボールが好きでしたが、 こういう良い作品のおかげで真っ直ぐな自分でい…