いじめの仲裁で「どっちもどっちだし、お互い謝ろう」というものがありますが、これがなぜ最悪の手なのか紹介します。

不公平すぎるから

簡単です。回数に換算すればわかります。

たとえば私は近所から嫌がらせを受けて10年になりますが、10年は3650日です。私がその間に5回は苦情を言いに行っています。一時的に中断しても、完全に止む事はありません。

少なく見積もって1日1回の嫌がらせを受けたとして3年分にしても、私が嫌がらせを受けた回数は365×3=1095日、これだけ少なく見積もっても4桁になります。


どう考えてもおかしいですよね。回数が釣り合わない。全く平等ではない。

いじめや嫌がらせを一方的に始めて、苦しめた側の罰が最も軽く、被害者は今後も精神に傷を負いながら、自力で傷を我慢するか、お金や時間ををたくさんかけて精神科やカウンセリングに通う。

こんな理不尽がまかり通っているのが今の世の中なのです。加害者に有利すぎる世の中なのです。

これで「どっちもどっち」なんて言っている人がいたら、自分が被害に遭ってみればいいと思います。被害者側の立場に立って、「どっちもどっち」などと言えるならすごいものです。

いじめを始めた原因を追究して、どちらにも原因があるならどちらにも気をつける対応を教授する事が大事ですが、当然ですが継続的に続けた加害者の方が罪が重くなるのは当たり前です。

「どっちもどっち」なんてことはいじめ問題ではありえません。必ず加害者の方が危害を加えている回数が多いです。

当たり前ですが、被害者側は怒りが収まるわけがありません。それでも抑えているのは、これ以上いじめ加害者に自分の人生の時間を無駄に使いたくないからです。

世の中のいじめ問題はすべて被害者側の我慢によって成り立っているのです。そんな世の中でいいのでしょうか?

私は「まったく良くない」と断言します。現状はどうにもならないのが悲しいところです。