目次

「人間の姿をしているけど、人間社会の常識を持っていないから」です。

  • 平気で嘘をつく。
  • 自分達が一方的に加害しているのに被害者面をする。
  • 周囲には「自分達が被害に遭っている、被害者の被害妄想で攻撃されている」とうそをつく。
  • 加害行為の境界線が壊れている。(何が加害になるのかすらわかっていない)
  • 何年も嫌がらせを止めてくれと何度も言っているのに止めない、聞く気がない。

こんな事を続けている人達が、自分の子供や孫がいる中年以降の女性がほとんどです。信じられない人も多いかもしれません。

連中は本当に巧妙で悪事を隠すのが上手いです。

連中自身に悪事を行っている自覚がないのかと思いましたが、「そもそもこの近所以外には隠してやっている」時点で、連中も悪事だと分かっているのです。

連中は人のトイレやふろを勝手に監視する事を加害行為だとわかっていません。私への加害になるとこの近所はなぜかその悪事が正当化されるのです。

いじめ加害者達が放置された結果、私への嫌がらせ行為は皆知っているのに黙認、村八分です。

誰もがその話題になると逃げ、加害者達と被害者面をして問題児をどうにかしようと相談します。

なので、加害行為は証拠を残さないようにより陰湿に、そして平日も休日も毎日続くようになりました。

私が自分の家の中でトイレに入ったり風呂に入ったりすると必ず私の家の前まで様子を確認しに来たり、最近だと洗面所の明かりをつけたらわざと桶を叩いて騒音を出すようになりました。

嫌がらせが悪化していくたびに「止めてくれ」と苦情を言うのですが、余計に嫌がらせが追加されていくのです。

そしてこの排除に「被害者が嫌がらせに苦悩し自殺する」という選択肢があっても一切情け容赦なく嫌がらせを続けてきた人達なのです。

こんな人達が世間からは「良いおじいちゃん、おばぁちゃん」として天寿を全うできるって怖くないですか?

いじめによる自殺への追い込みって完全に犯罪なのに、証拠がなければ何をしてもいいと判断して嫌がらせが続くわけです。

なぜ嫌がらせが証拠を残さない方向へ移行したのか考えればわかるのですが、「そろそろ被害者が自殺したり精神が壊れる頃だろう」と、判断しているからでしょう。自分達が疑われても証拠が残らないように長期的に苦しめる気でいると考えられます。

私の家の向かいにまともな感覚を持った近所はもういません。大人が10人近くいて、「嫌がらせやいじめを止める」という選択肢がどの家からも出てこないのです。

そのくせ世間には被害者を「頭がおかしい人間でこちらは被害者だ」と言いふらす。

以前にもあったかもしれないご近所いじめ

実はこの近所で、私が子供の頃に一人でブツブツ喋ってるおばぁさんが時々いたのですが、これ、私が受けているいじめをその時も受けていたんじゃないかと考えています。

私もあまりのストレスに、頭の中で考えている不満をブツブツ喋っている時があったからです。

父の「あの人たちはずっとそうだよ。」という、私が嫌がらせを受け始めた時に相談した際に言われた言葉なのですが、そう考えるとよく分かります。

この近所は自分達の気に入らない人間をずっと集団で嫌がらせをして排除していたのだと。

この近辺ってみんな持ち家なのですよ。私もいじめ加害者達も含めて。だから簡単に引っ越しができない。

そんな中でいじめが始まったらどうなるか。当然ですが、逃げ場がないので壊れるわけです。

この近所が加害に慣れている人達が多いのはそういう理由かもしれません。

みんなで加害してみんなでかばい合って、犯行を隠蔽してきた。今回の私が受けているいじめと同じように。

この人達はいつまでこんな悪業をこの土地に植え続ける気なのでしょうか?

いじめ被害者の現状

いじめ被害者の私はどうなったかというと、相続後にほぼ引きこもり状態になり、昼間にまともに外に出られるようになるのに5年近くかかりました。吐き気止めを持ち歩いてようやく克服して日中も外に出られるようになりました。

そして現在は人間不信(特に女性不信)。ほぼニートな上に短期バイトで繋ぐも、バイトの長期面接すら受からなくなり、詰んでいる状態。

さらに自殺願望、自暴自棄に近い状態で精神の発狂もする。

一方的に人生をメチャクチャにされたのに、何の保証も慰めも助けもなく、それどころか「男のくせに」だの見下され、犯罪者かのように扱われています。被害者が男性だと誰にも助けてもらえないのが今の世の中です。

老若男女、そして男性自身も自分を大事にしてはいけない世の中。地獄みたいですね。



私への救いは現世のどこにもないので、神仏にしか救いを求める事ができませんでした。神仏にすがり、自力で立ち直った次第です。


いじめが始まって10年めでついに私は、私が生まれ、今まで生きのびてしまい、家と遺産を相続した事を悪だと認めました。


この近所では、いじめ被害者である「私」が生まれた事が近所トラブルの始まりなので、40年前に被害者がこの世に生まれなければ、母が私を生まなければ、生まれた私の仮死状態ではなく医師がとどめを刺していれば、いじめ被害者に相続なんて発生しなければ、近所がいじめを始める事はありませんでした。この近所では生まれてしまった被害者が悪いのです。

いじめ被害者が相続前にすべきだった対策

  • この世に生まれてこなければよかった。
  • 相続放棄をするべきだった。
  • 相続前に死んでおくべきだった(私が最後の相続人である)。


一見すると非常識に見えますが、私の近所ではいじめ加害者が放置され、皆でいじめ加害者の意向を優先する近所なので、この近所では「私」が生まれた事が悪いのです。「近所ルール」ってやつですな。

私が相続をしなければ子供の頃からのよき知り合いでいられたでしょうね。でもそうなると、今度は私が手取り11万円でフリーターで人生が詰んでました。

どっちにせよ相続した後のいじめで引きこもりになっていたので職歴に穴が開いて詰んでいますが。

私が近所の連中の本性を見抜けていれば、相続後にすぐに家を売却して別の土地へ引っ越すべきでしたが。

まさか相続してから自分よりも年上の、大人だと思っていた連中がいじめをするとは思いませんでした。子供の頃から知っていた人間達が、相続した途端にこんな連中になるとは思っていませんでした。

肉体年齢が年上だからと言っても、精神年齢まで歳相応だとは限らないと学びました。

この近所では私の存在自体が悪

この近所のルールでは、「私の存在自体が悪」だという事です。その証拠に他の家の家族が亡くなって相続してもいじめは発生しませんし、ずっと私だけが近所中のターゲットです。

だから私の近所の皆様は安心して相続できますね。だって自分達の子供や孫が相続しても、連中の矛先は私なのだから。

この近所では「私というゴミ以下の存在(この近所でしか理解されないルール)」がいるおかげで成り立っているのです。


世間では、道徳的にも当たり前ですが、自分達が気に入らない相手だからと言って、攻撃していい理由にはなりません。

人を陥れ嘘をついても罪悪感がない、人へ加害する事を命令したり実行するなど、相手を傷つける事をしても罪悪感も相手の心配も一切しない。

こんな反社会的な近所をまともな人間に数える事の方が失礼です。

連中の笑顔の不気味さ

たぶん本人たちは気づいていないと思います。鏡で笑顔を作ってもわからないと思います。

心のうちって笑顔に出るんだなぁと。自分の笑顔がどうかは分かりませんが、あとであの時の連中の笑顔を思い出すと目と口の中が本当に真っ黒なんですよ。

他の人の笑顔を思い出すときって、目とか口とかハッキリ幸せそうな笑顔が思い出せるのに、連中の笑顔を思い出すときは必ず目や口元が真っ黒なんです。「人間を模したなにか」みたいなものを見た感じで、不思議です。

人付き合いは人生を左右する

私の経験からもわかるように、人付き合いは人生を左右します。長い付き合いだからと言って、信用するのは危険です。

長い人生の中でその人の考え方が変わっていたり、年を取って隠していた邪悪な本性がむき出しになるかもしれません。

人を信じる事もまた、自己責任です。誰にも寄り掛からず、まずは自立した精神を持つ事。自分の足で立つ勇気を持つ事。

それが自分の人生を生きやすくなる方法だと実感しました。