今回はうちの近所の問題点を分析してみました。参考になれば幸いです。
目次
- いじめの始まり
- いじめ主犯たちはDV中毒者
- キリストや仏陀さえ女性に呆れた理由がわかった
- いじめ主犯と取り巻きの問題点
- 近所が立てたシナリオ
- 認知症が始まっているいじめ主犯
- うちの近所は自己愛性パーソナリティ障害の集まり
いじめの始まり
いじめ主犯の場合は「人生を楽に生きて許せない」と私に言った一言で分かります。嫉妬です。
若い人間が家と遺産を譲り受けた事で、いじめが始まった事からもわかります。
私の生まれた市なので、子供の頃から何度も出入りしているし、大学生の頃は住んでいた家です。相続した家を私は人生の半分を過ごしているのです。
当然ですが、周り近所も子供の頃からの知り合いです。なのに、私が一人になって、相続した途端に近所からのいじめが始まりました。
「じゃあなんで急にいじめが始まったのですか?今までずっと知り合いだったのに?」「なんで私は自治会を抜ける事になったのですか?」と聞きましたが、「そんなの知らないよ!」と答えられました。
そもそもいじめが始まらなければ私は自治会を抜けるような事もしませんでしたし、近所と対立するような事もしていません。
始めた人間とその周囲が誰も責任を取らず、人のせいにして逃げたのです。
いじめ主犯たちはDV中毒者
連中は私に嫌がらせをしないとストレスを溜め、情緒不安定になります。
しかし、私が相続する前はそんな事をやらなくても生活できたはずです。
私が相続してから、連中は10年、私に嫌がらせをしてきました。つまり、嫌がらせをしている感覚がマヒしています。
連中にとって私に嫌がらせをすること自体が日常のルーティンワークとなっているので、「いじめという他者への加害行為」である認識がなくなっているのです。
だから今まで日常的にやってきた嫌がらせが被害者に届かないとわかり、被害者に恨みを持つようになるのです。
私が完全にいじめ加害者達側の窓を閉め切って一切開けなくなったら騒ぎ出したのも、日常と化していた私への嫌がらせや当てつけができなくなってストレスが溜まっているからです。
連中はDV中毒と変わりません。男性に身体能力で敵わないから精神への暴力というわけです。
一般的には、わざわざ近所の1軒が窓を閉め切ったからと言って「最近窓が開いてないなぁ、故障でもしたのかな?」程度で特に気にもしないわけです。だって生活してるのは明かりの点灯や消灯、来訪者でわかるのですから。
それが私の近所、特に向かいやその周りは開けなくなった途端、自宅の周りを不審に嗅ぎまわるという時点で連中はもう一般人の感覚とはかけ離れています。
ちなみに私が加害者側の窓を開けなくなったのも、トイレや風呂の様子をわざわざ私の家の前まで毎回来て確認したり、我が家の明かりがついた事に合わせて雨戸を閉めてきたり、私の外出を感じ取ったらすぐに家の前で談笑している近所や遊んでいる子供達がいなくなるなどの経験を何年もしているからです。
平日も休日もまるで死刑囚みたいな扱いされて何年も過ごしてたらおかしくなりますよ。
その上で何度も苦情を言いに行っても平気で嘘をついて逃げ、警察に通報されたためです。
家の換気よりも連中へのストレスが勝りました。そのため家の中で送風機などで喚起をしています。
連中が私の存在自体を嫌っているように、私も連中の存在自体を嫌っているので、自分の心や生活を守るために少しでも接触機会を減らしただけです。
連中はそれが我慢できないようですが、知ったこっちゃない。自分の精神を守る事の方が大事です。
いじめ加害者なのに、「いじめじゃない!酷い侮辱だ‼」と平気で警察に通報してくるのも、加害者達から見たら「自分達はただ日常のルーティンワーク(被害者への嫌がらせ)をしているだけなのに、それを邪魔してくるいじめ被害者こそが、いじめをしている加害者だ!」と、連中の頭の中ではなっているのです。嫌がらせをしている自覚すらないのでしょう。
被害者からすれば「ふざけるな‼」ですよね。「黙って嫌がらせされてろよ!また文句言ってきたらみんなで警察に通報してやるからな!」なんて近所と誰が関わりたいのですか?
自分の加害衝動を、他人に八つ当たりする事でしか抑えられない加害者たちが野放しなのですから自衛するしかありません。
加害者が女性の集団であり、被害者が男性だからこそ終わらないし、誰も止められません。この日本では独身中年男性の命なんて軽いですからね。
この近所が私を「見下していい存在」として扱ってきたのは、この10年で痛いほど理解しました。だからもう関わらないようにしています。
キリストや仏陀さえ女性に呆れた理由がわかった
加害者達は被害者である「私」が存在する事が辛くて外出が怖くなったと傷ついているらしいです。
あなた達が誹謗中傷や嫌がらせなんて始めなければ近所トラブルなんて起こらなかったんですけど?
私は相続後のあなた達の誹謗中傷のせいで5年近くまともに日中外出できないほど心を傷つけられたんですけど。
何度も自殺しようとするほど追い込まれたんですけど?
自分達がトラブルの原因を作っておきながら傷つけた被害者のせいにして逆恨みするとか、もはや救いようがないですよ。
なんでこの人達って、人には平然と残酷な事を出来て、残酷な事をした自分達がまるで被害者みたいな態度が取れるのでしょうか?
私の人生でここまで絶句するほど酷い人間達は出会ったことがありません。
人の人生を一方的に集団で壊して反省すら一切せず、平気で自分が被害者だと嘘をついて周りに被害者は危険人物だと広めまわる。自己保身しか頭にない。そしてそんな人間たちをかばい続け、協力する旦那や他の近所たち。
なんていうか、「私って本当に神仏から守られてるんだな。」と実感しました。
こんな連中の本性に気づかせてもらい、嫌われたのだから。
いじめや嫌がらせが日常なので認識できない人達
いじめが始まる前は
- 井戸端会議
- 家事
- 世間話や外出
みたいな感じだった近所が、いじめが始まり何年も経つと
- 井戸端会議(いじめ被害者の陰口悪口が追加)
- 家事
- いじめ被害者の監視(トイレや風呂)
- 世間話や外出
- 部屋の雨戸やカーテンを閉める時(いじめ被害者への嫌がらせ)
このように、私への当てつけや嫌がらせが日常と化しました。何度も注意しても嘘をついてやってないと逃げます。
始めは皆結構バラバラに雨戸閉めたりとみんな自然と時間がズレていたのに、私とのトラブル以後は、向かいの家3,4軒が私の家の明かりのついた時間などに合わせるように行動していくようになったんですよ。
当然ですが、私だって偶然タイミングがあっただけなら文句なんて言わないわけです。それが明らかに時間を変えても追従されるようになったら「なんか変だな?」と感じるのが自然でしょう。私自身、1か月くらいそうやって毎日時間を早くしたり遅くしたりと変えてみて、追従されている事に気づいたのですから。
そしてトイレや風呂のたびに私の家の前に誰かが近づいてくる足音。酷い時は私が腹を壊した時にトイレの前で「汚らわしい」と、一言残していきました。この1件以降、私はトイレに入る時は嫌でもこの事を思い出すようになりました。
時間をずらしても執拗に合わせてきて、何度注意しても止めなかった。連中は常に嘘をついて逃げ続けたのです。そしてこれがほぼ毎日何年も続いているのです。だから1か月前、とうとう私の我慢の限界がきて証拠がなくても怒鳴り込んだ次第です。そして警察を呼ばれたのです。
他人の家を盗撮するわけにもいかないから証拠が掴めないのです。連中も私の被害妄想だと言って警察を呼んだわけです。「証拠がない」と言ったら笑ってましたよ。
普通の人の反応は驚きや「証拠を集めないと立件できない」という説明でした。なぜ笑うのか分かりますか?「証拠がなくて良かった」と安堵したからです。軽口を叩けるくらいになったのがいい証拠です。私はこの時、火曜サスペンス劇場の犯人の反応とそっくりだと思っていました。
そして翌日には嫌がらせを再開し、何事かと連中を訪ねてきた人々にも私の被害妄想だと、自分達はそんな事をやっていないと、平気で嘘をつくわけです。私はそれを家の中から黙って聞いていました。そして、連中のいる側の窓を二度と開けない事にしたのです。換気は他の窓でやっています。
10年間こうやって自分の生活を一方的にずっと侵害され、悪人扱いされ、誰にも救いを求められず、理不尽な扱いとその苦しみを一人で堪えてきました。
連中は10年に渡る嫌がらせを、嫌がらせをすること自体が自分達の日常ルーティンに入っているので、「いじめや嫌がらせをしている認識すらない状態だった」と考えられます。
だから相手が完全にシャットダウン(加害者達の方の窓を一切開けない)したら、被害者に嫌がらせが届かないのでストレスになっているのです。
いじめができないとドーパミンも放出されないので、ストレスも溜まるのでしょう。
普通の人は運動や趣味などでストレスを発散します。それは自分のストレスを人に八つ当たりとしてぶつけないように、他者を尊重しているからです。
連中は被害者に嫌がらせをする事で日頃のストレスの発散をしているのです。
私が存在すること自体が連中にとってストレスだからと言って、私が黙って連中の嫌がらせを受け入れる道理はありません。
現に私も10年間、連中に八つ当たりしないように筋トレや読書、趣味などで連中から受けた嫌がらせのストレスを発散していたのですから。
連中のようにいじめて自分のストレスを解消するために「他人をいじめ被害者にする」事はしませんでした。
連中はもちろん健全ではありません。誰か一人の人間の心や人生を犠牲に自分達の生活を潤そうなど。
逆に、私に対してやっている事を他の近所にやっているかと言ったら、一切やっていないわけです。私が相続する前も私の生活を監視したり、周囲の家が粘着して嫌がらせをするなどはありませんでした。
生まれ故郷であり、引っ越してからも毎回夏休みや冬休みなど遊びに来ていた上に、高校卒業後7年も暮らしていた時は一度もそのような嫌がらせはありませんでした。
だからこそ確信を持って言えます。いじめの始まりは若い人間が持ち家と遺産を相続した事への主婦達の嫉妬なのだと。
「実際人生を楽に生きて許せない」なんてわざわざ夜に私の家の倉庫前で言い捨てたいじめ主犯の言葉があるのでね。本人は忘れているようですが。
この周りに20軒も家があって、「私の相続後に10年間私だけがいじめや嫌がらせを近所数軒から受けている」のです。
これで「みんな嫌がらせなんかしていない。あなたの被害妄想だ」と言われて誰が納得するのですか?
嫌がらせが始まる前と後で何の違いがあるのかって言われたら、「祖父母や叔父が亡くなり、私が一人になって遺産と家を相続した」くらいしかないのですよ。
遺産の相続もそもそも私以外の相続人はいないし、相続人に指名されています。相続トラブルさえありません。「将来的にはこの家を引き継いでもらって自分達は隠居するから。」と、本人たちが最初から私に引き継いでもらうつもりで残してくれたのですから。
いじめが始まった理由を連中は誰も説明できないのですよ。被害者は相続前の近所の様子を知っているのだから「明らかに今の状況がおかしい」とわかるのだから。
みんなで嘘をつけば嘘が本当になるとでも思っているのですかね?この連中は。
じゃあどうするの?って言ったら、「全部最初からいじめなんて無かった」ってみんなで嘘をついて「被害者の被害妄想だ、あいつは危険だ」と周りに言いふらせば、「被害者を町から追い出そう」という風潮を作れるから。
いじめ主犯は狙った通りの展開だし、当初加担していた連中も自分達のやったいじめを隠蔽できるから子供や孫にバレる心配がなくなる。
被害者は孤立しているのだからいくらでも悪者に仕立て上げられるわけです。そして自分達は被害者が自宅にいる物音や明かりを確認するたびに被害者面をしていればいい。
「お前が存在するから私たちは安心して生活できない」と罪悪感を被害者に持たせればいい。
ですが、もしもその「誰か一人」に自分達が選ばれたらこの人達はどうするのでしょうかね?黙っていじめられ続けるんですかね?
「黙って嫌がらせされてろよ!」って言われたらどうするんですかね。納得できるんですかね。
近所内ではみんなでいじめてサンドバッグにして、近所外には被害者を「頭のおかしい奴だから相手にしないで」なんて言われて加害者扱いされても黙ってられるんですかね?
自分達は平気で人を苦しめて笑っているけど、自分が標的にされるのは嫌だという。
最低の人間達としか言いようがありません。
煽るだけ煽って困ったら「人のせい」
社会人を経験している方も、学生も、男性ならだれもが体感していますが、女性って年齢問わず、圧倒的に無責任な人が多いのですよ。
私へのいじめも、全員女性と、一部は旦那さんも加担しています。
でも、最初に加わっていた人たちも、今も続けている人達も、誰一人として責任を取りませんし、皆逃げたり、被害者のせいにしています。
当たり前の話ですが、「いじめは良くないよ」と止める人がいれば、連中はそこまでのさばらなかったのです。
私の近所は、「私にバレている」と、私がいじめ主犯に言わなかったら、「誰も」自分からやめなかったんですよ。
言ったらやめた人が半数になり、そこから続けている人達がいます。
倫理や道徳って人が見ていないところでも発揮するものだと思っていたのですが、この人達にとっては違うんだなと。
この人達の大半は、私よりも人生経験が豊富な、子育てなどもしている大人なのです。ですが、誰もが止めなかったのです。私にバレなければそのままずっと続けるつもりだったわけですよ。精神的な大人が一人もいないのです。
それで結局、誰かこの事を謝罪したかというと誰一人していませんし、「被害者が引っ越せばいいのに」「被害者がここで暮らしているから悪いんだ!」と、加害した側がまるで被害者かのような態度を取ったり、私に怒りを向ける人ばかりです。
全部自分達が一方的に勝手に始めた事なのに、都合が悪くなったら被害者のせいにして逃げる女性しかいない。
いじめ主犯と取り巻きの問題点
いじめ主犯→私がこんな事をするのは被害者が暮らしているせい=他責
私以外の家が相続しても、私だけがターゲットのまま。仮に私がいなくなっても、周りで相続があれば嫉妬心をかき立てられるかもしれない。そうしたら今度はターゲットを変えていじめを始める。
いじめ主犯の取り巻き→私がこんな事をするのはいじめ主犯が命令するせい。いじめ被害者が暮らしているせい=他責。
大人なら「自分の意志で断る」という選択肢もあります。「いじめに加担する」と決めた時点でいじめの取り巻きとなった「あなた」の責任です。
連中は自分達の責任を被害者のせいにすり替えて八つ当たりをしている、ただの卑怯者です。
連中はもう嘘をつきすぎて本人たちも何をやっているのか分かってない(自覚がない)、といった感じなのでは?
人を犯罪者扱いして監視するなど、近所の特定の人物に対してやりませんし、そんな事が日常に組み込まれるわけがありません。連中はもはやストーカー紛いの事を毎日繰り返して犯罪の自覚すらなくなっているのでは?
「本当はやってはいけないけどこいつに対してだけはやっていいんだ」という自分はよくて人はダメ!といういじめ加害者特有の差別でしょうね。
自分が始めた事、加担した事すら受け止めようともしない。無責任で遊び感覚で人の人生をメチャクチャにして罪悪感すらない。それがいじめ主犯といじめの取り巻きなのです。
自分の心のコンプレックスをいじめ被害者に投影している
いじめ加害者達が、自分たちの心の問題を被害者のせいにしても、解決するわけがありません。
この10年間で私の近所間やこの地域での評価を地に落として、連中はいじめを止めたかというと、全く止めていません。
いじめ主犯が私が苦情を言うような人間だと思っていなかった頃、余裕ぶって我が家の家の前で技と聞こえるように「人生を楽に生きて許せない」と言っていた通り、私が10年受けてきたご近所いじめは、単なる嫉妬です。周り近所は便乗していじめを楽しんでいるクズに過ぎません。それがバレて私がここで暮らしている事を被害者ぶっているのです。
本当にこの近所はクズみたいな女の人しかいなくてウンザリしています。
嫉妬心を抑えられない自分の感情をすべて私に投影して、私に嫌がらせをして苦しんでいる姿を見て、いじめ主犯が勝手に「自分のコンプレックスが癒されていく」と錯覚しているだけです。
つまり、本人の問題は何一つ解消されていないわけです。なぜなら他人を傷つけて現実逃避をしているだけだから。
赤の他人に自分の心の醜さを押し付けて、相手を攻撃したって何も解決するわけがありません。その醜さは自分の心の中にあるのだから。
実際には「何も関係ないいじめ主犯に傷つけられた人」を生み出し続けているだけです。通り魔がそのまま放置されているようなものですよ。
自他の境界線がないからそんな事をしているのです。いじめ被害者に勝手に自分の心を投影して、勝手に悪者扱いして攻撃しているだけです。
だからいじめ被害者には何も関係がないのですよ。だって連中自身の心の問題なのだから。
「私の近くに住むな」「存在するな」とか言われたって無理なんだから。いじめ被害者が何をしてようが、どこに住もうがいじめ被害者の自由なのです。いじめ主犯やいじめ取り巻きには一切何も関係がないのですから。
ただの幼稚なわがままなのですよ。そんな幼稚園児がだだをこねているような事を、成人した大人がやっているのが最大の問題点なのです。
被害者は一方的に連中のコンプレックスを押し付けられた挙げ句、八つ当たりをされているだけなのです。
いじめ被害者は自分の生活をしているだけなのに、ずっと周りから一方的に執着されて、連中の心の問題を勝手に投影されて、いきなり差別や嫌がらせを受け、苦情を言えば危険人物扱いで「このひと頭がおかしい!」と警察に通報されるわけです。
こんなのメチャクチャじゃないですか!
自ら「悪」になる事で自分の心を守った被害者
ついには自分が本当に「狂った人」になってしまう前に、自分が生まれた事が悪い事だと理由をつけ、終わりの見えないご近所いじめ問題に心の中で区切りをつけたのでした。
そして私は人間不信の特に女性嫌いとなりました。現実の異性への関心や恋愛、結婚への興味や性欲自体もほぼ無くなりました。
特に現実の女性はもうプライベートでは関わらないようにしています。女性様のご機嫌ひとつで自分の人生がメチャクチャにされる経験をしたらもう関わりたくありません。
「どうせ私の近所のように笑顔で楽しく話が弾んだと思ったら裏では陰口悪口三昧なんだろうな・・・」って。子供の頃から信用していた人達が平気で嘘をついて私の人生を潰そうとしてきたのだから、女性の笑顔を、言葉を一切信用できなくなりました。
ちなみに加害者達の家庭は子供や孫と共に家族と仲良く楽しく正月を過ごせていました。私も連中が家に入るまで自分の家の家事を控えたりと配慮しました。加害者の子供達には関係ないので家族の思い出作りを配慮する私偉いですね。現実なんてそんなもんです。
近所が立てたシナリオ
近所の立てたシナリオでは、おそらく
- 被害者に嫌がらせをする。
- 被害者が苦情を言う。
- 近所は否定。「被害者は被害妄想が激しく頭がおかしい危険人物だ」と広める。警察に通報する。
- 「危険人物だから町から皆で追い出そう!」と提案しても違和感がなくなるので、近所以外からも協力者を増やす。
- 被害者が町から出ていく。
悪魔が書いたんじゃないかってくらいのシナリオですね。
要は自分達の気に入らない人間が近くに住んでいるから、嫌がらせをして被害者が怒ったところだけ切り取って「危険な人物だから町から追い出そう!」という空気にこの近所たちは持っていきたいわけです。
手口が痴漢冤罪と同じですね。加害者達が騒ぎ出し、被害者が話を聞いてもらえない空気に激怒したら被害者面をする。そして被害者が悪者だという方向に持っていく卑劣な手口です。
この人達はさんざん相手の人生を壊すような事をしても、一切罪悪感すら持っていないんだな、自己保身しか頭にないんだな、と。
子供の頃に連中の本性を見抜けていればよかったのですが、そこは私の未熟な所です。
いじめ主犯が過去に、私が最初に怒鳴り込みに行った際に私を追い出そうと提案していたので、取り巻きとこういう手段にして自分達は悪者にならずに追い出せるように、証拠になりにくい精神的な嫌がらせに移行したのだと思われます。
現に今も被害者ぶっていますし、この前の近所との喧嘩でも、翌日には私を頭のおかしい人間扱いして自分達は被害者だと広めているのが聞こえていたので。(根回しが早い事で。)連中は複数人だから隠蔽も容易でしょう。
「とてもいじめをするような人とは思えない。」いじめが始まる前の私がいじめ主犯といじめ取り巻き達に持っていた印象です。子供の頃からずっと笑顔が穏やかで、物腰が柔らかい人たちでした。
いじめなんてやるとは想像もしていませんでしたし、理性的に話の通じる大人達だと思っていたのです。
だから、10年も嫌がらせを一方的にしていて警察に通報した人達が翌日には平気で嘘をついて私を貶めるのを聞いていて、女の人の非情さ、自己保身のために平気で嘘をついて、他人の人生を壊しても何とも思わない心の醜さに心底冷めたのです。
今までも同じような自己擁護を聞いていたのでイライラしていたのですが、今回の1件は心の底が冷えたような感覚でした。
たぶん、私は心のどこかで「あの人たちも大人なのだし、自分達の行いを反省して改心してくれる」と、まだ良心が残っている事をどこかで期待していたのです。
「その考えは間違いだった」と、今回で私の心は納得し、整理がついたのでしょう。
今回の一件はハッキリ言ってしまえば、冤罪をかけた側がどんな心境でいるのか。その答えを見たようでした。
「自分が冤罪をかけた相手の事も、冤罪をかける行為も悪い事とさえ思っていないし、自分の保身しか本当に頭にないんだな。」っていう知り合い達の姿を見て、「女性」という生き物に心底呆れてしまった感じです。
当たり前ですが、冤罪をかけるという行為は、何の罪もない他人の家族や人生を壊す行為です。倫理や道徳の観点で言えば、殺人に等しい行為です。
それだけの事をして「嫌いな奴がいなくなればラッキー☆」「お金もらえるかも☆」程度の軽い感覚だと思っているようですから。
成人女性でさえこの程度の人間なら、日本の男性が冤罪問題は本当に深刻に考えていることもわからないでしょうから、まともな女性なんてほとんどいないと言っても過言ではありませんね。
男性の間では女性の言葉の信用なんて無いに等しいんですよ。あなた達女性と同じで、本心を言うとヒステリーを起こされて面倒だから顔に出さないだけです。女性が男性に本音を言ってしまえば怒って暴力を振るわれるかもしれないと考えて回りくどく言うのと同じですね。男性は面倒だから「へ~」で済ませるんですけどね。
認知症が始まっているいじめ主犯
どうもいじめ主犯は認知症が始まっているらしく、その攻撃性が私に向いているようです。
結局いじめをするような連中はボケても他人に迷惑をかけるのだなと思いました。
当たり前ですが、なんで私がそんな連中に遠慮しなければならないのか。散々この近所での評判を落とした挙げ句、誰も責任を取らず、加担していた連中もまるで私を危険人物扱いで被害者面です。
そしていじめ主犯の取り巻きはいじめ主犯のせいにできるからいじめを楽しんでいるようです。類は友を呼ぶってこういう事なんだなって思いました。この連中も認知症が発症したら私を犯罪者扱いするので、もう私の名誉が回復する日は来ないでしょう。
うちの近所は自己愛性パーソナリティ障害の集まり
いじめ主犯と取り巻き含む、この近所は重軽度の差はあれ、ほとんどの人が自己愛性パーソナリティ障害だと思います。
絶対に非を認めない、平気で嘘をつく、被害者面をする、相手を苦しめたり貶めても罪悪感がない(良心の欠如)。これら全てが連中に該当している点を見れば明らかです。
そして去年、苦情を言った時に平気で嘘をついて「私たちがそんな事をやるわけがない!通報しましょう!」と警察を呼んだのを見て実感しました。
「根本的に私とは違う存在だ。」と。あらためて縁を切る(関わらない)が正解だと実感しています。
理性的に話し合いで解決しようとしても無駄でした。
この10年間、情に訴えても、苦情を言っても、連中は何一つ嫌がらせをやめなかったし、誰も謝罪の一言すらもなく、被害者面でいじめ主犯に便乗して被害者を危険人物や犯罪者扱いしていたのですから。
まともな話し合いなんて通じるわけがないのですよ。私(被害者)を最初から「心を持ったひとりの人間」として誰も見ていないのだから。
人を勝手にサンドバッグに仕立てて、自分達のガス抜き道具扱いするような連中とは関わらないのが正解です。
あなたを踏みにじる相手にまで情けをかける必要はないのです。だって、いくらあなたが相手を尊重しても際限なく調子に乗るだけで、あなたを尊重する事はないのだから。私の10年が証明しています。
私の血縁者にこの近所の人達がいなくてよかったと、心の底から思います。
ありがとうございます!ただ、意識が戻っただけで会話できるほどではなく、まだ深刻な…
お父様の意識が戻られたようで良かったです! やりたいことは、どんどんやった方が良…
こんにちは。ありがとうございます。
こんにちは。自分の健康と安全を第一に、ゆっくり休んでくださいね!
コメントありがとうございます。 「悟空ならこういう時どういう考え方をす…
私もドラゴンボールが好きでしたが、 こういう良い作品のおかげで真っ直ぐな自分でい…