今回は私がご近所いじめで実感した日本の女性の問題点と男性との違いについて考察します。参考になれば幸いです。

当然の話ですが、全女性や全男性に当てはまる事ではないと先に明記しておきます。

目次

女性は無責任

女性は日頃から「自分がこうしたい!」と言わないため、自分の意志や自我が育たなかった方も多いので、簡単に周りの言い出しっぺに従い、善悪の判断さえ他人のせいにして逃げるのでしょう。

だから他人に対して平気で倫理や道徳に反する事をやり、自制心がない人が増えたのです。

伊藤純也選手の不同意性交罪のように、冤罪を仕掛けた側が被害者面をして、擁護する人もいるように、現状では女性は冤罪を仕掛けても女性側にデメリットはほとんどないと分かったから、どんどん冤罪は増えていくと思われます。

自分にリスクがない上に、大金が手に入るかもしれないチャンスだと分かれば、そういう女性が増えてもおかしくありません。

それは私が受けたご近所いじめのように、世間に公表される事はない事も含めて。

そしてこれは、日本の教育の問題点でもあります。「蝶よ花よ」と甘やかし、女性をお姫様扱いする親たち。

たとえ悪いのが女生徒でも、泣き出したら大人達から無条件で加害者にされる男性たち。


だから女性は加害性も強くなります。自分の身体能力でかなわない男性たちを無傷で、こてんぱんにできる快感に酔うからです。

日本は女性にもちゃんと教育をしてこなかった結果、ツイフェミみたいな子供の精神を持ったまま、肉体は大人の歪な人間達が際限なく女性優遇を求めているし、観光や企業に悪影響を与え続けています。

それ以外にも女性は責任を男性に押し付けて逃げる事が多々あります。そしてこの手口は、小学生のやっている事と変わりません。「そうすれば自分は逃げられるから。」と学習したからです。

自分はどれだけ悪い事をしても男のせいにすれば逃げられる。責められても泣いたり傷ついているフリをすれば逃げられる。

それが大人になった女性達の無意識下にも表れています。だから大人になってもすぐに被害者面をしたり平気で嘘をついたりするのです。

本当は悪い事だと分かっているから、根回しをして自分は悪くないと周りに言いふらしたり、心が傷ついているフリをします。

女性は幼稚な人が多い

ルッキズム至上主義とか言われていますが、男性から見たらよく分かりません。男性はイケメンだろうとブサイクだろうと世間から優遇される事はありません。

身体能力、容姿も含め、能力が主だからです。どこかで負けているから他のところで補う。当たり前のことだから自ら何かを身につけようと行動して努力します。

男性から見たら容姿の優劣で人から優遇される事なんて「ない」のが当たり前です。

だからみんな自分の良い所を作るために努力するし、「自分と同じように知らないところで努力や苦労をしている」と考えているから認め合うのです。

一方で女性は他人と比較し、「自分に足りないもの」といつまでも向き合わず、被害者面で周りがワガママを聞いてくれるのを待つだけ。

自分は自身の悩みや心と向きあう行動も、新しい魅力を身につける努力もせず、ブランドものや若さという性、整形で表面だけ取り繕い、「セレブになったフリ」だけは上手くなる。

いくら外見だけ磨いても「心」という本質は何も変わらない。人には見えないから整形しても意味はないし、自分で向き合おうとしなければいつまでもかわらない。

そして心が未発達なため、他人を尊重する事も学ばない。だから遵法意識も奉仕の精神も生まれない。


だから気に入らない人間は排除したくて仕方ないし、加害し続ける。しかし、それが悪い事だと学生時代や社会を知識では分かっているので自分が被害者のフリをして周りに宣伝する。

ツイフェミという生き物の正体

心が子供のままだから人の心を傷つけても良心や罪悪感を無視する。

自分以外の人間が心を持っていて自分の知らないところで色々抱えていたり、悩んでいる人間だと考える事もない。

人生経験で本当は分かっているけど「子供で止まっていたい」から認める事ができない。
そして心の葛藤や矛盾を無視するためにより認知が歪み、攻撃的になっていく。

そして「男性」という概念全体を憎むようになる。連中が見ているのは「現実の男性」ではなく、「自分の心が作り出した男性という誇大妄想」。その妄想を現実に男性に投影して憎んでいる。

学生時代を経験して誰かに負けるのが怖いから、陰湿に卑怯な自分の同類たちと一緒に集団で一方的に攻撃できる状況を作る。集団に紛れれば自分の責任を薄められるから。

「だから現代にツイフェミみたいな連中が現れたんだな」と理解しました。「社会」という大人のいる場所に「あれして!これして!」と駄々をこねに来た、体だけが歳を取った子供です。

人は、心は目に見えなくとも感じる事が出来ます。だから人を人とも思わないような連中の行動に対して不快感を持つ人も多いのです。


おそらくツイフェミと呼ばれる方々は、過去に誰か男性に何か嫌な事を言われたりされたりで傷ついたのでしょうが、それを全男性に当てはめるというのはあまりにも失礼で幼稚です。

私自身がご近所さん達から嫌がらせを10年も受けて女性不信になりましたが、近所以外は私を傷つけてきた人たちではないので報復してやろうなどと思いませんし、嫌がらせをしたいとも考えません。

そもそも私は自分を傷つけてきた人間達に直接苦情を言っているので。

私は男性ですが、男性だっていじめの主犯に立ち向かうのは、たとえ相手が女性だとしても怖いし勇気がいるのです。虐待を受けている子供が親に正論をぶつけるのと同じようなものです。

私が初めて苦情を言いに行った時、足が震えて声も涙声でした。情けない姿を裏で近所達から笑われ侮辱されました。しかし、結果はどうあれ「勇気をもって立ち向かった」という経験が私を変えてきたのです。

近所に今では怒鳴り返すくらい立ち向かえます。この前のように私が警察に通報されるので、何を言っても無駄な連中とはすでに縁を切って、自分の人生に向き合っています。

何年も職歴に穴が開き、無職の道楽者として蔑まれるという今度は世間から侮辱される毎日と向き合っています。
誰かに心を壊され、挫折しても、日本には無職の独身中年男性に対する救済措置はないので、どれだけ人間が嫌いで憎くても、自力で立ち直るしかありません。

私の場合は筋トレや読書による知識による視野の拡大と、古神道などの従来の八百万への感謝の生き方を学んで実践する事でなんとか生きています。

私も、いじめ主犯に勇気をもって立ち向かっていなかったのなら、ツイフェミのような人間になっていたかもしれません。

挫折を経験するかしないか

多くの女性が無責任なのは、挫折を経験していないから、もしくは挫折したままだから。と、私は考えています。

男性は小学生のうちから挫折を経験します。挫折しても誰も待ってくれません。だから自分も挫折したまま走り続け、社会人になっても休めない事があります。

たとえば運動でもドッジボールやミニ四駆、サッカーや野球など。私もそうですがサッカー部に所属していたので、体育の時間は結構活躍しましたが、もちろんクラスには自分よりも上の人間がいくらでもいるので、「上には上がいる」というのを子供の頃から何度も経験しています。

他にも男子と女子が喧嘩して、女子が泣き出したら無条件で先生から呼び出しを食らって男性陣だけ体罰なんて事も経験しています。

男性の大半は世の中は「自分に正義があっても、それが報われるとは限らない」という理不尽を小学生のうちに経験している人も多いのではないでしょうか。

そしてどうあがいても変わらない現実を経験しているから違う道を模索し、友達の生き方や他の大人達の行動を観察し、自分も行動してきたからある日、挫折した時の経験が、違う視点で答えを持ってきたりします。

男性はそうやって心が折れたり、自分から譲る経験を何度も繰り返して、行動してきたから学生の頃から情緒を磨いてきたのです。

「泣けば終わると思うなよ」
男性はそう言われるのが当たり前の環境なのです。

私もそうでした。何度も男として情けない姿をさらしながらそれでも生きなければならなかったのです。

大人たちからそう言われ、女性達からは同年代からも20歳以上年下になった女学生からも「キモい」と笑われる。

一生侮辱されるのが当たり前と言えるくらい酷い世間で男性は生きているのです。

女性は本心では誰も男性になりたいと思わないでしょう。

「女性である」事を理由に責任から逃げられなくなるし、追及が甘くなることはないと分かっているからです。

男性は本当に生きにくい世の中

男性の場合はニートや引きこもりになると犯罪者扱いされたりしますし、女性達からのいじめには誰も味方しませんので、自殺か、自分で立ち直るか、家族に捨てられるかの三択になります。一人だと誰も助けてくれません。

正直な話、身内を全て亡くして幼い頃からの知り合い達から一方的に誹謗中傷や嫌がらせを受けて自殺しなかっただけでも偉いと思うのですが、私の実体験だから言えますが、世間は女性が加害者で男性が被害者だと誰も擁護してくれません。


今の人間社会は「死んだほうが良かった。」と思えるくらいの地獄ですよ、本当に。

一方で女性は「家事手伝い」などの無職でも男性ほど言及されたりバカにされる事もありませんし、未だに言い訳して逃げられる環境も多いから結婚相談所などに結婚を理由に逃げ込みます。

ちなみに私は男性無職ですが持ち家で一人暮らしなので、自分で掃除も洗濯もやっているし、働いている時でもずっとそうです。料理も簡単なものなら自炊しています。独身男性にとっては家事は日常生活の一部です。

それでも男性が「家事手伝い」なんて書いたら思いっきりバカにされますし、まずバイトもパートも採用されません。

独身男性の場合は「フルタイム」以外の選択肢を選ぶと基本的に悪い印象を与えるのが日常です。短い時間で少しずつ社会復帰なんて事を許されないのです。(だから短期バイトを繰り返して体を慣らしてきた)そしてフルタイムや肉体労働以外では、学生や主夫以外はまず採用されません。

世間はどんな事情があろうと、男性の職歴が空いたりしたら、悪い印象を持つし、バカにされたり見下されたりという事をされるのです。

実際私も面接の方が斜めに座りながら応答されたり、「世の中舐めてるでしょ?」など、辛辣な事を面接で言われたのが3,4回ありますし、すごく眉間にしわを寄せていやそうな顔をされるのを見てきました。もちろんそういった面接をしたところで採用された事はありません。

面接で言いたい事だけ言って捨てられるのが多いです。採用側も、同僚にしないで落とす事前提だから自分のストレス発散に酷い事が言えるのです。

なので自分も心が傷つかないようにそういう面接の場合はすぐに自分から辞退する事にしています。身につけた処世術の一つです。

かと言って話がいい感じで進んでも、私が遭った求人詐欺のように、労働契約書の書類さえないまま、いきなり道具を買わされ、契約と違う仕事や現場に放り込まれるという事もありますが。

常に受け身だから辛くなる




ではその解決方法を教えましょう。それは、普段やらない方法をしてみる事。失敗とか成功とか考えずに、思いついたらやってみる事です。そこから意外な解決方法が浮かぶかもしれません。仕事で無理ならプライベートで普段は歩かない道を歩いたり、普段は手を出さないジャンルに興味を持ってみたり。

視野の狭い人は「そんなことができるわけない」「正解がないなら意味がない」と試しもせず否定するので、いつまでも変わらないのですが。

人生は市販の問題集じゃないから選択肢に正解なんてものはありません。自分で正解を作っていくものです。

そのために正体を見極める力、つまり「心の中の声」に耳を傾ける必要があります。耳を傾けなければ何も始まらないのです。

まずは男性側の考える本当の強さは、年齢と社会経験を積むと変わっていきます。

私が男性だから言える事ですが、学生時代は喧嘩の強さ、運動能力の高さの方が「強さ」だと思っていました。つまり暴力や勝負の意識ですね。

ここで一度は「負けを認める」という経験を男性はします。

社会人になって、いろいろな人の考え方、人生に触れて、「強さ」とは、誰かを守るために我慢する事や自分の意見を勇気をもって言う事であると、考え方が変わっていきます。

そして、「親の強さ」を理解するようになるのです。自分を犠牲にしてでも、嫌な奴に頭を下げてでも家族や子供の生活を守ろうとする。そこにもまた、強さがあるのだと。

男性の言う強い女性というのは、暴力の話ではなく、「芯、つまり心の強さ」を讃えているのです。それは芯の通った女性や、凛とした姿、という言葉がある事からも明らかです。

冤罪をかける事を軽い事だと考えている女性達

私の近所もそうですが、女性って人を平気で陥れますよね。でもそれって、日常的に人に冤罪をかけているって事じゃないですか?

だから慣れすぎて、罪悪感がないんだなって実感しました。

人の悪口を言う、人のありもしない悪い噂を吹聴する、ストレス解消に相手に嫌がらせをする。会話すらした事ない名前も知らない人に対してすれ違いざまに「キモい」などの暴言を吐く。

まるで当たり前の日常かの如く平然と成人女性でさえやる人が増えたと感じます。
たとえば「キモい」という言葉は「気持ち悪い」という言葉ですが、名前も知らない、会話すらした事のない相手に平然と言ってしまうのは常識のない人間としか思えないですね。

親しい間でも普通は使わない。よくこんな残酷な言葉を平気で人に向かって放てるな。自分以外の人間は心なんて持ってないと思ってるのかな?

「お天道様が見ている、亡くなった親族が天から見ているだろうから人の道から外れた事はしたくない」という感覚がないのか、人間的な「心の豊かさ」を「俗物」に交換している中身のない女性が本当に増えたなぁと。

冤罪事件が特に増えているのと、自分も被害に遭っているから体感的に強く感じるのかもしれませんが。

自分だけは自分の味方をするべき

まずは一歩。自分の責任だと思って嫌いな食べ物を食べる事から始めてみればどうでしょうか?嫌いなものを選んだ自分の責任であって、嫌いなものが世の中に存在するせいではありませんから。少しずつ治していけばいいでしょう。