今回は直近の職歴が、10年間短期バイトしかない41歳の独身中年男性の私が、人生のトラウマと向き合った時の話です。参考になれば幸いです。

目次

私の職歴

正社員:1年半

派遣、フルタイムのバイト:約7年

短期バイト、無職:約10年

私は子供の頃から算数や数学が大嫌いでした。特に高校になってからは、いつも赤点か、赤点ギリギリで苦痛でした。でも、私の子供の頃の夢はゲームを作る事でした。

ゲームを作るには数学の知識が必要になります。でも数学は嫌いなので、外国語の専門学校へ行って、3年次編入で大学編入試験を受け、英語一本で合格。卒業論文を書いて卒業です。

将来の夢なんて一切なかった

将来の夢なんて一切ありませんでした。

「ゲームを作る事」こんなの、仕方なく決めた夢の一つです。なぜなら提出期限があるから。当時から私はテレビゲームが好きでした。幼稚園の頃から現在に至るまで、ずっと好きですし、遊んでいます。

ファミコンから始まり現在のPCゲーム、Nintendo Switchに至るまで、ずっとゲームを遊んできた人間です。

世代もあって、いろいろなものに恵まれましたが、私自身にはなりたい職業とかの「夢」は一切ありませんでした。

なぜなら私の夢は、「世界の理や真実を知りたい、陰謀論は事実なのか、幽霊は実在するのか」など、およそ「普通の夢」とはかけ離れていたので。

当然、そんなものは職業でもなく、ただの事象だから、自分が空っぽのまま生きている自覚はありました。

「この世界の人々の感覚と、自分は合わない」という意識のままずっと生きていました。

実際その通りなのか、よく「変わり者」といわれていましたが(今も言われますが)。

自分探しをしていた20代

20代の頃は何者かになりたくて、でも社会のレールに乗るのは嫌で、それでも世の中には選択肢が決まっていて、とにかく息苦しい世界にウンザリしていました。

だから会社を辞めた後、生まれて初めて一人旅に行きました。

最初は北海道へ。次は埼玉から沖縄までさかのぼりました。全ての県を回ったのではなく、単に南下しただけなので大阪、島根、宮崎、鹿児島、そして沖縄へと寄った場所は限られていますが。

楽しかったです。新しい自分は見つけました。でも、社会では大して役に立ちません。

当たり前じゃないですか。旅に出てまで身につけられるものなんて、会社でも身につきます。

たとえばコミュニケーション能力。自分を知らない人と会話ができるのも旅の醍醐味ですが、それは営業関係でも身につきます。

フリーターになって、一人暮らしで7年。手取りは多い時は15万くらい。平均は大体11~12万円。社会人の頃に買った中古の軽自動車で色々出かけたり、ゲームを遊んだり、金が無さ過ぎていつも逼迫していたし、酷い時は12時間働いてパン1枚で過ごした日もあります。

そこで自炊の重要性を学び、ご飯を2号炊いて、もやしをおかずに何とか給料日まで凌ぎましたが、食べられる雑草探しも今は懐かしい思い出です。

20代の頃は就職相談も頻繁に利用していました。そして自己分析の結果のたびに、私に向いている職業は芸術家や研究職などの分析や追求、プログラマーや記者などでした。

どれも興味はありませんでした。芸術家も芸大も出ていない人間だし、研究職も、理系の大学も出ていない人間の研究なんて特にありません。好きな事ややりたい事なんてゲームやアニメくらいですから、ただのオタクです。どこまでも私は受け身の人間です。

何度も挫折しているプログラミング

「プログラミングの独学は9割が挫折している」

これは私も実体験から実感しています。何度も勉強を始めては挫折してゲームで遊んだりしています。

しかし、私の人生の選択肢にいつもプログラマーが入っていました。「こんなに嫌っているのに、なんでいつも出てくるんだよ!」私はウンザリしていました。

20代の頃から10数回は色々なサイトで自己分析をして、向いている職業を探して来ました。そのたびにいつも「プログラマー」という選択肢は出てくるのです。まるで「選べ」と言わんばかりに。

心の底から嫌がっているのに何度も出てくるので、私はもう企業の自己分析を一切しなくなりました。

そして同時に、「向いているならちょこっとやってみよう」と、現在に至るまで何度も勉強を初めては、挫折をしていました。

「やっぱり無理だ、わからん。」と、40歳に至るまでずっとその繰り返しです。ITパスポートは取得しましたが、暗記だけで点数を取り、合格点ピッタリのギリギリ合格でした。

根本的な部分である2進数やアルゴリズムなどは、全く分かりませんでしたし、挫折しています。

自分の望みを叶えるための方法がIT業界しかなかった

私が30歳の頃に母の実家と叔父の遺産を相続し、投資信託や株で暮らしつつ、近所からのいじめを受けていた時に自分の選択肢の少なさに苦しみました。(私が受けたご近所いじめは他のカテゴリを参照してください。)

投資信託や株は、私が1から生み出したものではなく、誰かのおかげであり、その「誰か」がいなくなれば私は何も残りません。

私は、自分の技術や知識という「自ら価値を生み出す力」がない事を自覚していました。人に誇れるものはありません。それがなければ現代社会では衣食住に困るだけです。

そうして、いろいろな職業を短期バイトでかじりながら、ついに去年、求人詐欺に引っ掛かりました。

「お前の道はそっちじゃないって何度も言っているのに!」と、声にならない「声みたいなもの」が心に遭ったのは覚えています。(今思えば、あれは守護霊みたいなものが何度も呼び掛けていたのかもしれません。)幸い、ハローワークの紹介なので相談して辞められました。

「あぁわかったよクソったれ!嫌いな数学もプログラミングも向きあってやる!」と、何度も私の人生の選択肢に出てきたプログラミングと、数学と、ヤケクソ気味に向き合うことにしたのです。

一度はどれだけ勉強しても理解できなさ過ぎて、就職から1年半でIT業界から逃げた自分が、できるようになる根拠も、先も見えないままでした。それでも、


「できるできないじゃない!やるんだよ!」と、覚悟を決めて勉強を始めたわけです。

「できない自分」と向き合う事になる。

私はまず、プログラミングスクールなどを調べてみたり、体験や面談をしてみました。IT業界は人手不足ですが、40代になると厳しいものです。

ましてや短期バイトを定期的に繰り返しているとはいえ、無職期間が年単位。おまけに積み重ねた職歴はIT業界とは何も関係がないからです。

しかし、IT業界は実力の世界です。自分次第なら今から努力すれば自分の選択肢が増えると感じました。

そしてまずは、基本情報技術者試験を合格する事にしました。しかし、それは自分の嫌いな数学分野と向き合う事になります。


これが本当に辛かったです。私は勉強を始めてから何度も嫌すぎて癇癪を起しましたし、趣味のバードウォッチングやゲームに逃げました。

初見の問題で解けた事は一度もありません。習った直後の基本問題すら解けない頭の悪さです。

そこで、私は気づいたのです。問題を間違える事が自己否定を起こしているのだと。自尊心が削られていくのを感じているのだと。

数学がトラウマになった出来事と向き合う

私はなぜ数学が嫌いになったのか、考えました。そしてある幼い日のことを思い出したのです。

それは、小学2年生の頃。算数を理解できず、宿題を放棄したかったのですが、父に無理やり机に向かわされ、何度も泣きながら理解できないことを頭痛を堪えながら宿題を終えたのでした。

その時、私は算数が嫌いになりました。勉強自体が嫌いになったのもこれが原因だと思います。

そしてその後も、中学高校とずっと数学は赤点でした。勉強しても思った点数が取れない事に、いつしか「勉強って何の意味があるんだろう。なんでこんな嫌な思いをしてまでやらないといけないのだろう?」と感じるようになりました。

テストの点数で自分という存在が全否定される感覚が嫌でたまりませんでした。

私にとって学生時代は、いじめに遭うわ、学校のテストはあるわ、大学にいかなければならない世間の風潮はあるわ、自分はやりたい事すら何もないわで、本当に地獄でした。

無意識のブロックを外す

問題を解けない自分に苛立っている。自分は「ダメな人間だ」とすぐに挫折する。

「無職の現実の自分」と「イメージの中の優秀な自分という願望」の差が激しいからこそ、問題を解けない、「優秀ではない自分」に苛立っているのだと。

私は自分の心と向き合い、分析した結果、自分の意識を以下のように修正しました。

  • 初見で問題を解けないのは当たり前。解き方を覚えて解けるようになればいい。
  • 間違えたっていい。試験に合格する勉強方法を知ればいい。
  • 「頭が悪くて固い自分」がプログラマーをやれるのか。発想力がないなら人の発想力をメモしておけばいい。自分は天才でも優秀でもないのだから、人のアイデアをメモしたり検索して、そのメモから選んで真似して使えばいい。

継続は力なり

「IT業界に入って、自分が戦力にならなかったらどうしよう。」知るか。受かってから考えろ。ダメならまた無職に戻って今度は自分でソフト作って売っていくなり選択肢があるだろ。今に集中しろ。



いろんな雑念に惑わされながら、迷いながらそれでもテキストの問題を間違えまくって回答し続けているのです。

そうしたらある日、自分の中でスッと、少しだけ分かり始めてきたのです。同時に、あれだけ嫌っていた数学が、ちょっとだけ興味が湧いてきたのです。

一度挫折しても積み重ねた時間は無くならない

私は無職の時間を存分に使って、基本情報技術者試験の勉強とC言語や他の言語を遊んだり、プログラミングの学習とネット、Linuxの知識を増やす事にしました。

過去に1年半IT業界にいた頃の業務報告書はまだデータとして保存してあるので、何を勉強していたか、ある程度記憶がよみがえってきます。

プログラミングの習得は1,000時間かかると言われていますが、それは、ある程度「生涯を含めて」だと私は思います。
なぜなら私は何度も勉強を始めては挫折してを繰り返して来ましたが、再び勉強を始めて、なぜか理解が深まっているのを実感し始めたからです。

できない時はまた違う事を選ぶのでしょう。私にとって「まだその時ではない」という事です。

自分の好きな事の中に活路はある

どういう処理なのか考えたりしながら勉強しています。楽しいです。

プログラム以外にも、通勤で乗る電車や天体の観測、距離の計算などの数式も、以前は苦痛で見たくなかったのに、理解できなくても、見ようと、理解しようとするようになりました。

就職活動で何度もやった自己分析の結果は間違っていなかったという事です。私の場合は41歳になって気づきましたが、この記事を読んだ皆様は、もっと早く行動する事をオススメします。

40歳以上になると本当に選択肢って狭まるんですよね。

私は図書館のプログラミング関係の書籍やKindleなどの電子書籍のセール、youtubeの動画で勉強しています。

現在はIT関係の職業訓練に通っています。資格を取得し、就職するためです。ゲームは封印して、勉強漬けの毎日です。