私は蜂蜜を食べるようにしました。ほぼ毎朝、もしくは夜、1日1回は蜂蜜を食べるようにしました。

ビンの中の蜂蜜が無くなる頃には、私の顔は生気ある顔に戻っていました。ハッキリ言ってすごく驚いたのを覚えています。同じ鏡で確認して、本当に別人のように顔色が変わっていたのです。「こんな事が本当にあるのか!」と、明らかに顔色が変わるのを実感した私は日頃の栄養について意識するようになりました。

 

市販の安い蜂蜜に効果はなし!純粋蜂蜜だからこその効果だった!

調べて分かったのですが、私が食べた蜂蜜だからこそ効果があったのです。市販のスーパーなどで売っている蜂蜜は人工甘味料が含まれており、これは砂糖と変わりません。

 

蜂が花から集めた純粋な蜜。値段が多少上がりますが、高い栄養価でサプリの成分にも使われるのはこの純粋蜂蜜です。私の家にあったのはこの純粋蜂蜜で、だからこそ私は生気を取り戻したといえます。

純粋蜂蜜は養蜂場で買うのが一番ですが、店によっては、会員登録すると購入の営業電話がしつこいです。会員登録せずに買うか、ネットで買いましょう。私は2本目は楽天市場で買いました。価格も安く、おススメです。

 

 

 

健康を取り戻し、夜間の外出の縛りが無くなった私は、遠くへ出かけることが出来るようになりました。そのため、実家へ久しぶりに帰りました。

 

実家は浜松にあるのですが、その帰り、ついでに富士山へ寄りました。翌日が開山日だったので、車内で一晩寝て、起きて御殿場ルートから登りました。

 

ハッキリ言って登山準備もせずに、自販機の500ミリのペットボトルだけで一番過酷な御殿場ルートを登るという無計画登山をやりました。迷惑ですね。ごめんなさい。7合目まで脱水症状、高山病を抱えたまま登り、たまたま空いていた山小屋で杖と水を買い、山頂まで登りきりました。誰かに救援などは出していませんので傍から見れば普通の登山客と変わりませんが、良くないですね。帰りは砂走りなのですごく楽でした。

 

7合目でようやく開いていた山小屋で水は500ミリのペットボトル500円。杖は1000円、焼印200円。高山では何より水が高価になる。それだけ山で水は貴重だからだ。お金がギリギリ足りたのは幸いだった。観光客のためか、7号目以降でも焼印の数は多い。写真は登る最中の石碑の前。登山者はほとんど私と富士登山マラソンの練習者だけなので、人とすれ違う事もほとんどなく、のんびり写真を撮れました。

杖

 

筋トレの成果を実感した事、山ですれ違う際、人と挨拶をしたこと、私は確実に「自分」を取り戻しつつありました。

 

反動なのか結構な無茶をこの頃はしてました。自転車で埼玉から東京まで行ったりもしました。自治会の関係上、長期間家を空けることが出来ないので、そこまで長い日数は出かけられませんが。

私を壊した近所の主犯の一言

私は再び家に帰りました。しかし私を取り巻く状況は何も変わっていません。今も陰口は続いていて、家にいてもストレスという状況は変わりませんでした。

 

あまりに酷いし、苦しいので、あえて窓を開けて、「陰口や悪口を何年も続けるのは大人のすることではない。」と相手たちに聞こえるように電話の会話で聞こえるように父と会話をしました。彼女達は大人だから、私に聞こえていたという自覚を持って、今後は陰口を少し控えて反省してくれるだろうと。私は考えていたのです。

 

ところが、そうはなりませんでした。

 

大声で毎朝、私の家の前で近所の方々にも聞こえるように私への誹謗中傷が始まりました。反省するどころか、彼女達の攻撃は悪化したのです。

 

私は毎日耐えていました。ショックだったのは子供の頃から優しく、分別のある大人だと思っていたから、反省してくれると考えていたのですが、見事に裏切られました。彼女達にとって自分への批判はただの攻撃にしかならないようです。自分達が誹謗中傷をしているから、被害者が我慢の限界が来て、苦情を言われた。という思考にはならないようです。「逆らわない奴が私に逆らった!」という考えにしかならないようで、反省なんて微塵もしません。

 

中でも私にとって一番傷ついた決定的な一言が、主犯の放った「人生を楽に生きて許せない」という一言でした。

 

この一言は、夜の19時ごろ、私の家の前で近所の取り巻きと世間話をしていた主犯が放った一言です。私の家の車庫の窓の前でしたので、明らかに私が家にいて、私へ聞かせるために放った一言だとすぐ分かりました。「遺産相続して今楽に生きているでしょ?ね?だから私はあの子みたいにね、人生を楽に生きているのが許せないの!」

 

これは腸が煮えくり返るような怒りと憎悪を今も思い出しますし、私が苦しんでいる原因となった一言です。今もこの記事を書いて思い出していますが、体が震えてきます。

それくらい酷い一言でした。まして、私が子供の頃から信用し、相続前の、叔父の危篤時に真っ先に電話で相談した、私の家庭環境をある程度知っていて本当に一番信用していた近所の方から言われた一言だからです。ちなみにこの方が、私への誹謗中傷の主犯です。

 

現在なら分かるのですが、この方はおそらく自己愛性人格障害か、内向型サイコパスのどちらかだと思われます。今はもうこの方を「人間」とは思っていません。私がこの6年受けていた誹謗中傷を考えると、人の心を持っているとは思えないからです。私は36年生きてきて、初めてここまで酷い人間に遭遇しました。

 

私の人生の大雑把な経緯は記事の最後に載せておきます。私を知っていながら、信用していた方から「楽な人生」と言われて、本当に屈辱でした。人生でこれほどの侮辱を受けたと感じたのは初めてです。

よく知らない方から私は「のほほんとして何の苦労も悩みもなさそうな顔だ」とよく言われますが、私なりに人生で苦しい思いはしてきましたし、それでも生きてきました。別にそれは構いません。しかし、子供の頃から知っている、信用していた方から言われた私の心境は、ハッキリ言って、例えようがないほどの苦しみでした。

自治会の一斉掃除での彼女達の態度で私の我慢は限界に

私は黙って耐えている日々がこの頃は4年続いていましたが、とりあえず、我慢をしていました。

 

そして、自治会の一斉清掃で顔を合わせることになるのですが、彼女達はニコニコしながら近づいてくるのです。あの一言を放っておきながら、表向きは全く無かった事にしているのです。そして、土手の蓋をどかすのを手伝わせ、周りに人がいる時はニコニコしながら「ありがとうねぇ」と言うのです。ハッキリ言ってその場で殴り飛ばしたいくらいの怒りを我慢していました。私は怒り慣れていないので、涙目だったのを覚えています。「こいつに一言が言えなくて自分が情けない。」そう感じました。

 

後に縁切り神社へ参拝に向かいました。忘れようと努力しました。しかし、どうにもなりません。

頭の中は怒りで一杯で、家にいても外出をしても、ゲームをしたり映画を見ても、何一つ心が静まる事はありませんでした。ゲームを始めても、10分くらいで怒りで爆発しそうになり、すぐに電源を切ってコントローラを放り投げて、また家の中を歩き回ってずっと言われた事や、自治会での態度を思い出して腹を立て、ウロウロ家の中を歩き回って一日が終わります。

 

私はこの頃から、気づいたら頭の中で考えていた事を喋っているようになりました。頭の中だけで考えているのに、感情が高まるとその内容を無意識に声に出してしまうのです。当然、事情を知らない通行人からすれば変な人です。

 

また、家のお風呂に入っている時も、急に叫んだり怒鳴ったりと繰り返していました。それほど酷いストレスで毎日の日常生活さえままならず、部屋は汚くなり、色々と物を叩きつけてメチャクチャになっていったのです。どうにもならない苦しみに、どうすれば立ち向かえるのか、苦しむ毎日が続きます。

 

 

※補足として先に書いておきます。当時、精神状態があまりに酷く、解離性障害に近い症状も出たため、今も当時の細かい記憶の前後が曖昧です。大きな印象に残っている事は覚えていますが、最初の頃、もしくは日記ブログで書いた事と時期の整合性が取れない事もあるのはご了承ください。書いた内容の時期に違いはありますが、起こった事は全て事実(私の視点では。)なので、嘘は書いていないと宣言しておきます。

この先、「自分」を取り戻すために、戦う事を選んだ

「この先も、こうやって何か言われて、ずっと泣き寝入りし続けるつもりか?」

「うやむやにされて、黙って泣き寝入りでそれでいいのか?」

「お前と言う人間を否定されて、何も言い返さないのか?」

「あんな年寄りにバカにされて、お前の人生を否定されたままで、それでいいのか?」

「誰かに踏みにじられたままで、男として恥ずかしくないのか?」

 

私の自問自答は毎日続きました。確かに、あんな人間達を相手にするのは、時間の無駄です。流してスルーしてしまえばいい。しかし、相手を受け流すだけの心の器が私にはまだできていませんでした。代わりに誇れるものも、確固たる心の反論の軸すらも。

 

それは、取り戻していないからです。「自分」を。人の言葉で自分の軸がブれてしまうのは、自分に軸がないからです。

 

私がずっと抱えていた最大の問題。それが、人に何を言われても、ヘラヘラして受け流し、周りとの仲を壊さないために自分を犠牲にしていた事。当たり前ですが、仲がよくても、嫌なことは嫌だと言わないと、人は際限なく調子に乗ります。

人間というのは、他人もそうですが、自分が思っているより愚かなのだと実感します。

 

私はこの、言いたい事を言って、周りから仲間外れにされる事、周りの期待を裏切る事を子供の頃から恐れていました。しかし、それが、私を生きる上で縛り付けているのだという事も頭では分かっていました。

 

自分らしく生きると、孤独になる。でも、このまま自分を見失って生きているのは、生きているといえるのだろうか?

 

心は最初からやるべき事を知っていました。しかし、向き合う勇気は無かったのです。私は考えた末、直接苦情を言いに行くと決めました。このままうやむやにしてはダメだ。行動に起こそう。どうなるのかわからない。相手は何一つ認めないかもしれない。それでも、動かずに後悔したまま終わるのは嫌だ。

 

「対決だ。」

 

私は意を決し、彼女の家を訪ねる事にしました。彼女に苦情を言うために。世間のイメージ通りの私ではなく、「俺」自身の人生を生きるために。

 

「この先、近所との仲が壊れても構わない、俺は俺を取り戻す。俺の人生を生きるために。」そう決意したのです。あれだけ一方的に誹謗中傷され、人間としての尊厳を踏みにじっておきながら、黙ってうやむやにされるのは、我慢の限界でした。

 

次回へ続きます。

 

私の人生の大雑把な経歴はこちらの記事で。これが「楽な人生」かどうかは皆様にお任せしますが、私にとっては、そこまで楽な人生ではありませんでした。人に言う言葉は、私たちも気をつけなければいけませんね。