年末は色々忙しい上に、もう書きたい事は書ききっているので不定期更新です。

今回は私自身に起きた2023年の出来事を振り返ろうと思います。日記です。

2023年に私に起きた変化

  • 野鳥観察が趣味になった。
  • 野鳥の撮影に興味を持って、撮影に出かけるようになった。
  • 日月神示を読んで神様を信仰するようになった。

2023年はさらに激的に自分の行動が変わりました。去年の私に言っても信じないかと思います。それほど自分自身に変化が起きた年でした。

余談:神様を信仰するようになって起こった話

今年も年末はアルバイトで働いているのですが、これもまた大変な力仕事でして。

神様を信仰し始めたとはいえ、私自身は神様や指導霊、守護霊と言った存在とのつながりを一切感じるような霊感なんてないわけで。

できる事と言えば、日月神示の助言通り、我を無くして赤子の心で人の話を聞いたり、従ったり。食べ物を食べる前に神様に捧げる一例や感謝をしたりです。

私は次第に、「やっぱり神様っていないのかなぁ」と悩んだりするようなトラブルも様々起きたりと、結構大変な毎日を過ごしていました。

ある日、力の入れ方が悪かったのか、突然筋肉が引きつって呼吸すら辛いくらいの激痛が背中から肺にまで始まってまともに立っているのがやっとという状態になりまして。

誰にも言えないし、私の代わりの人間がいないので、多少体を犠牲にしてでも勤務を続けるつもりでいたのですが、突然原因不明のマシントラブルが起きて、作業が中断。体を休める事ができました。

その間に体の痛みがだいぶ引いて楽になった上、その週は軽い仕事がなぜか増えるようになって、何事もなく体も完全回復しました。

「もしかして、守ってくれたのだろうか?」と、同時に、私の神への信仰の揺らぎに対する回答だったのかもしれないと感じました。


もう一つ話がありまして、やはり指導霊や守護霊と会話をしてみたいけれど、実は悪霊と見分けがつかないから騙されないかという心配もあったりしましたが、それでも会話してみたいと思っていました。

ある日、夢を見ました。20年近く前に亡くなった母親と色々な話をしながら、祖父母が私の前を歩いていて、皆で明かり一つない暗い夜道を歩いていたのです。

私は祖父母の歩みが遅い事から「もっと早く歩いてくれないかなぁ」と大きな声で言って、母にたしなめられたのですが、その途中で目を覚ましました。

あの夢は、私の将来への不安が見せた夢なのかもしれません。明かり一つない道を目的地もわからず歩き続ける。まるで私の現在そのものでもあります。

しかし、同時に気づいたのです。明かり一つない道を一人で歩いていたわけではないという事に。

「暗い夜道を一緒に歩いてくれる存在がいる。話を聞いてくれる存在がいる。なんだ、もう自分はすでに持っているじゃないか。」と。

確かに私の将来はどうなるのか分かりませんが、「私はひとりじゃない」と感じたのです。

自分の行く道がどこに繋がっているのか分からなくとも、一緒に歩いてくれる存在がいるのなら、もう十分満たされているではないか。


私は霊感がなくとも、確かに自分と一緒にいてくれる存在がいるという回答を得ました。ならば、もうそれで十分だと。

夢に根拠はないかもしれませんが、私の心がそう感じたので、それでいいと思ったのです。

なぜかは分かりませんが、どことなく不安や寂しさを感じていた自分自身が癒されて納得しているので、それが神様からの、「君の目に見えない、感じられないとしても、確かに一緒にいるよ!」という回答だったのかもしれません。

私のような霊感がなくて、信仰の疑念や繋がりを一切感じない人への回答も、本人が気づかないだけで、こうやって用意してくれているのだろうなと。