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私は以前は宗教にあまり興味はありませんでしたが、今は興味を持っています。


ただ、よくある創〇学会などの宗教に入る気はありません。自分で調べて知識を得て信仰しています。

 

今回実感したのは、なぜ日本では宗教に悪いイメージがあるのか、考察しました。参考になれば幸いです。

なぜ日本では宗教に悪いイメージがあるのか

その理由はおそらく地下鉄サリン事件でしょう。オウム真理教の起こした事件です。

当時私は小学生でしたが、日本中がこの話題で持ちきりだったのは覚えています。

日本人は宗教が嫌いなのではなく、教団が嫌い

日本人は宗教は嫌いですが、初詣には参拝しますし、受験勉強や資格試験には願掛けに来たり、絵馬に願い事を書いたりと、信仰が身近になっています。

だから日本人の言う「宗教嫌い」とは、宗教そのものではなく、宗教を悪用する教団が嫌いなのです。

宗教は人間らしく生きるために必要

大人になると保護者はいないので、やりたい放題する無法者や、何をすればいいのかわからない人が出てきます。

そんな人に宗教は必要だと感じます。理由としては

  1. 神という上位存在のおかげで、自制が働く。
  2. 宗教という規範がある事で、成人後の倫理や道徳、社会貢献などの目標になる。

学校という限られた場所から突然、社会という広大な世界に放り出されて、何をしてもいいのだという解放感と、何をすればいいのかわからないという不安があると思います。

だから自分がどういう人間になりたいのか、そのヒントが得たければ、一人旅などもいいのですが、宗教について書籍を読んでみるのもいいと思います。

私は駒澤大学出身なので、一般学生でも仏教は必修科目だったこともあり、学生でも僧の格好をした人を見かける事が多かったです。

特に授業で印象に残ったのは民俗学だった事もあり、住んでいる県や市の伝承や、地名などに興味を持って調べる事もあります。

現在は仏教と神道の知識を増やしている最中です。

家の葬式は父方も母方もずっと仏教ですが、私はどちらかというと神道が合っているので、神道の作法や知識を増やしています。

ちなみに毎日一二三祝詞を唱える事と、日月神示を寝る前に読んでいるのが日課になっています。にわか信仰ですが、形式も大事ですが、まずは気持ちがこもっていないと意味がありません。

依存と信仰は異なる

依存は都合が悪くなれば全て神のせいにしたり、周りのせいにします。受け身なのです。祈れば何でも誰かがなんとかしてくれる。基本的に当事者なのに誰かのせいにして責任逃れをします。

 

信仰は同じく自分に起きた出来事の良いことも悪いことも神の意志や意図と捉える事もありますが、依存と信仰の決定的に違うのが、自分から問題を解決するために動くという点です。

降りかかる自分への「トラブル」を「神からの試練」と名前を変えたところで、結局自分で何とかしなければならないと分かっているからです。

私自身の実体験からも言えますが、自分から「何とかしよう」と行動した人にこそ、神は味方するものです。

例えば私がいじめ主犯のせいにしているだけなら、今も被害者意識が強くて、いつまでもいじめ主犯のせいにしていたことでしょう。

そして歳を取ったのならば、彼女たちのように自分に都合が悪ければなんでも周り近所のせいにする人間になっていたでしょう。

今度は私自身が次の世代や新しい住民にとってのいじめ主犯になっていたかもしれません。(現在も悪人扱いされていますが、私自身が周り近所に何かしたわけではないので。)

宗教を否定する人間ほど、変な宗教にハマりやすい。

宗教に変なイメージを持って、変な学び方をした人ほど、後に自分の人生で困難が訪れたときに怪しい宗教に引っかかりやすくなるのです。

頭の悪い人間ほど宗教にハマっていくというより、無責任で人任せな人間が悪い教団につけ込まれているだけです。

私から言わせてもらえば「そんないきなり現れた怪しい宗教に金をつぎ込むくらいなら、あなたが生まれる前から存在する地元の神社やお寺の後援会にでも入って、お金を出して来なさい」と、言いたいです。変な宗教よりよっぽど力になってくれますよ。

神社やお寺の柵などに名前が刻まれているでしょう?承認欲求も満たせて、家族の相談も後援会や神社、お寺の人に助言をもらえるかもしれないから一石二鳥じゃないですか。

なんで怪しい新興宗教の教団なんかにハマるんでしょうね?本当に愚かとしか言いようがありません。

あなたが生まれる何世代も前からずっと人々に支えられてきた神様や仏様の方が、実績も信用もケタ違いにあると思いますよ。

「子供がグレた!神様助けて!」と変なカルト宗教に依存する親とか呆れてしまいます。

そんなのどんな神様に祈っても解決しませんよ、あなたが向き合おうとすらしないのだから解決するわけないじゃないですか。

祈っているほど時間があるのに、その時間で本やネットで事例や反抗期の知識も自分で探そうともしない、ただ祈れば解決なんて話は聞いたことがありません。

どの神様も「お前の家庭の問題だろうが。お前が動かないとこっちが解決策出しても意味ないだろ。」としか言えないでしょうよ。現世で活動しているのは私達なのですから。

私は今の日本で「宗教が好き」と簡単に言えない世の中があまり好きではありません。上記の連中と一緒くたにされるのが嫌だからです。

宗教に入信していようとしていまいと、個人の問題に行き着くんです。

宗教ってさ、「教えを広めよ」とはあっても、「教団を維持せよ」なんて神様も仏様も誰も指示していないんだよ。

勝手に教団を作って「神」を利用してきたのは人間だ。だから宗教を自分で信仰すればそもそも教団さえいらないんだよ。

もちろん神社やお寺の存在を否定しているわけではありません。人々が落ち着ける場所や、集まれる場所はあってもいいと思います。私も神社やお寺の雰囲気が好きですから、よく参拝に行きます。

神や仏と共存する世の中を生きると思うと、とてもワクワクしますよ。見えない繋がりがあるというのは、なかなか慣れるまで大変ですが、慣れたら孤独から解放されます。

生涯独身予定の男性にとっても女性にとっても、生きやすくなるのではないでしょうか?

さぁレッツ宗教♪


追記:なぜかこの記事だけ異様におかしくなっています。まるで荒らしにあったかのように、書式がメチャクチャでした。直せそうもないのである程度体裁は整えました。

読みづらくて申し訳ございません。